(第49回)腹八分の思想(その1)

山崎光夫

 12月3日、秩父夜祭に出かけてきた。秩父夜祭は、秩父神社(埼玉県・秩父市)の例大祭として開かれる。師走恒例で、京都祇園祭、飛騨高山祭とならんで日本三大曳山祭として有名である。ぼんぼりの灯りで飾られた6基の山車が、20万余の見物客の見守るなか、市内を曳きまわされる。同時に、7000発の花火が夜の空を彩る。
 華やかななかに、伝統と格式を備えた大祭である。
 私が前回出かけたときは生憎の雨で中止だった。国の重要民俗文化財に指定されているので、山車の保存上、荒天時は中止になる。
 今回は晴天に恵まれ、大輪の花火が夜空を焦がした。

 秩父神社の本殿は徳川家康が寄進したことでも知られ、由緒正しい歴史を持つ。建築は日光東照宮のモデルとなった。
 ここに、日光東照宮の「見ざる聞かざる言わざる」の彫刻とは逆の、「よく見、よく聞いて、よく話す」の“お元気三猿”の彫刻がある。
 パロディなのかと思うが、現代の情報社会を反映したような彫り物である。

 「見ざる聞かざる言わざる」といえば、日光東照宮にある猿の彫刻で、国の重要文化財に指定されている。
 害のある物を見ない聞かない言わないの精神を生活に生かして人生の糧とする。この3ない主義で教育すれば素直な子が育つ、などの説がいわれている。
 この三猿(さんざる)には種々のいわれがあり、世界的な規模で3匹の猿の話が伝わっている。
 インドには、三猿に加えてもう1匹の猿を加えた、つまり四猿の像があるという話をきいた。それは、「食わざる」だという。
 見ざる聞かざる言わざるが、それぞれ両手で目、耳、口を押さえているように、食わざるの猿の手はお腹を押さえているという。
 過食を戒めている格好である。

 江戸の儒医・貝原益軒は『養生訓』で、飲食における腹八分をすすめた。食いすぎを戒めている。
 満腹では、食物が胃腸にあふれる。消化力の限界を越え、食べ物が胃腸に停滞する。
 「滞り」は、あらゆる病気の原因となるというのが漢方医学の発想にある。胃腸は消化のためフル活動を余儀なくされると過労に陥り、やがて病をもたらす。

 少食は胃腸本来の働きを充実させる。
 これが、
 「腹八分に医者いらず」
 の言葉を生んだ。
 さらに少食を心がけると、
 「腹六分に医者が泣く」
 になる。
 泣くは「無く」に通じて、患者がいなくなる。医者が商売あがったりになるのもかわいそうな気もするが、仕方のない話である。
 腹八分を実行するのは案外、至難の業ではある。空腹を思う存分に満たしたいのは人の常。まして、美味しい料理を前にして箸を置くのは難しい。
 過食はよくないとはわかっているが、ついつい食べてしまうのは人間の業であり、欲である。
 はたして、秩父神社のお元気猿に、よく食べる飽食の猿はいない。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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