グリー田中社長、「狙うことで波に乗った」 創業10年、過去・現在・未来を語る(1)

拡大
縮小

田中:当時は、ミクシィさんが急激に伸ばしていたんです。うちの会社のほうは社員2~3人というときに、ミクシィさんは30~40人いたんですね。これでは勝てるわけがないな、と思ったんです。

そこで、これはもう長期戦なんだなと覚悟を決めました。(ミクシィ会長の)笠原(健治)さんは、僕も大学生の頃から知っていますけど(注:笠原氏は1975年12月生まれで田中氏より1学年上)、彼こそ僕よりずっと前に、「インターネットでビジネスなんかするの?」っていう時代からやっている。彼はその時代からずっと頑張ったからこそ、30~40人の会社をつくることができた。

それに対して、僕が会社を始めたのは26、27歳のときなので、彼より5~6年遅れているわけですよね。僕は昨日、今日始めたばかりなわけです。それで思ったのは、向こうは5歳、6歳の子どもで、こっちは0歳とか数カ月の子どもなんだ、と。数カ月の子どもに「なんでおまえ、6歳児と戦っても勝てないんだよ」と言っても、勝てるわけがないという話から始まるわけなので。これは今、直近で勝つ負けるじゃなくて、やっぱり会社としてちゃんと大きく成長させないことには、何も始まらないんだなと思って、グロービスからも資本を入れて、会社づくりに入らなければいけない、と思ったのが、そのときですよね。

山田:初めから笠原さんのところを意識していたわけですね。

田中:笠原さんは、ちょうど似たようなサービスをまさにやっていましたから。あと昔から知っている方でもありましたので、意識していました。

考え続ける、粘り強くやる

山田:苦労の多い船出だったわけですね。

田中:最初の3年くらいはそうでしたね。会社をつくりさえすれば、どういうふうにサービスを差別化すればいいかとか、どうやれば事業を伸ばしていけるかとか、そういうことの答えはすぐにわかると思っていたんですが、簡単にポンポン思いつくわけじゃない。それを最初から思い知りました。

けど、世の中の多くのベンチャー企業がそういう中から、実際に新しい方針を見つけて、大きく伸びているわけです。だからパッと考えてもわからないからといって諦めるのではなく、考え続けることが重要だ、粘り強くやらないといけない、と思っていました。

山田:10年を一気に伺うために急ぎますが、第2章へ行くのが、次のターニングポイントでしょうか。

田中:そうです。その次は、2005年になって、モバイルサービスに注力することを決断した時が、大きなターニングポイントだと思いますね。当時のモバイルサービスって、着メロとか着うたぐらいしかなかったんですよ。むしろ、いわゆる「iモード・バブル」も終わって、今さらモバイルビジネスを始めるなんていうのは、周回遅れみたいな感じでもあったんです。でも、「いや、これからモバイルの時代が来る」ということで、全面的にシフトしたのが、大きな決断ですよね。

次ページなぜモバイルシフトを決断したのか
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT