創業1444年!世界最古の企業「金剛組」長寿の秘密 「潰せば大阪の恥」とまで言われる技術力

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近代的な組織となった金剛組は、コンクリートを活用した新工法を持ったことで、拡大路線に舵を切る。マンションや老人ホーム、阪神・淡路大震災の復旧工事なども手掛け、1990年代後半には売上高の6~7割が社寺ではないコンクリート建築となった。

「金剛組を潰したら大阪の恥や」

金剛組は成長路線をひた走ったが、売上高は1999(平成11)年の130億円をピークにどんどん低下していく。利隆は業績悪化の原因を、その著書のなかで「不得手な分野に手を出してしまったからだ」と述べている。

木造の社寺とコンクリートの一般建築では工期設定、コスト管理、営業手法がまったく異なるが、金剛組は木造社寺を建築する感覚のまま、コンクリート建築を行っていた。コンクリート建築の分野では大手ゼネコンがライバル。金剛組は大手ゼネコンと同品質の建物を作ることはできても、仕入れ価格や工事費の競争では勝つことはできなかった。赤字工事が多く借金が膨れあがった。役員給与はもちろん、社員のボーナス、給与をカットしたあげく2004(平成16)年には希望退職を募らなくてはならない状況に追い込まれてしまった。宮大工への工賃も数回引き下げざるをえなかった。

会社更生法と民事再生法、どちらを申請したらよいのか、切羽詰まる状況となった2005(平成17)年。東証1部上場の中堅ゼネコン髙松建設が支援の手を差し伸べた。金剛組と髙松建設はどちらも大阪が地盤であるし、メインバンクがりそな銀行だった。りそな銀行が髙松建設に金剛組の救済を頼んだところ、髙松孝育会長(当時)が「金剛組を潰したら大阪の恥や」と応じたのだった。

2005年11月、髙松建設が全額出資して、新しい金剛組を設立。2006(平成18)年1月、従来の金剛組から新しい金剛組へ営業権を譲渡するとともに、従業員の大半を移籍させ、宮大工との関係もすべて維持したうえで新たなスタートを切った。一方、従来の金剛組は負債を受け継ぎ、同年7月に自己破産し、一連の手続きが終了した。

金剛組が再スタートできたのは、髙松建設以外からのサポートも大きかった。金融機関は担保のない部分の債権を放棄した。中立的な立場を重視する銀行が、特定の企業を優遇するような決定をしたのは異例なことだ。

また、協力業者への支払いは手形で行っていたが、債権者集会で2割ディスカウントでの手形買い取りを提案したところ、大きな混乱もなく了解を得ることができた。通常の債権者集会ならば、罵声が飛び交ってもおかしくないが、集会は穏やかに終了したという。

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