なぜ中国はヒステリックになったのか 中国が真のリーダーになるために必要なこと

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日中友好条約がサインされた1979年前後の日中貿易では、年に2回の広州交易会で商談が行われ、大半の取引はその場で決まった。当時の貿易窓口は対外貿易部傘下の組織が行ったので全国から集まった優秀なエリートが貿易担当者であった。

当時の日本の対中輸入額は4000億円程度。一方で対中輸出は6000億円程度で、その差額は中国にとっての実質的な貿易赤字になるので、年間2000億円程度の協調融資を日本が行うといった仕組みだった。それ以外にも、実質的な戦後賠償の一環として多額のODA(政府開発援助)予算が中国に割り当てられた。技術ODAと称して日本の先端技術を「気前よく」供与したのもこの時期の支援策であった。従って、お互いの立場を理解し合い、双方とも相手を立てながら合理的な妥協点を模索したものだ。

こうした理想的な経済関係のバランスが崩れてきたのは、やはり1989年の天安門事件以降である。「社会主義市場経済政策」で中国の対外輸出が飛躍的に伸び、海外からの対中投資が加速するなか、中国は好調な経済を背景に外交姿勢も一層強気になっていったようにみえる。商売の交渉でも、言い方が良くないが、今まで猫をかぶっていた「化けの皮」が剥がれ始めた。日中友好ムードから一転して相手の足元を見透かすような商売が増えていった。

レアアース騒動に見る、日本の「オウンゴール」

ただ、2010年に尖閣諸島での中国漁船衝突事件が発生した当初は、レアアース(希土類)の禁輸と領土問題を絡めるという発想はなかったのである。この時、日本政府の訪中団(民主党の岡田外務大臣)があまりにレアアースにこだわり「手の内」を明かしたものだから「この手は使えるかもしれない」と反応を見るために輸出検査を強化したあたりから、問題は拡大していった。

中国政府は外交カードとして、レアアースの輸出禁止をした。日本の産業界は急にレアアース原料が輸入できなくなったので本当に困ったが、輸出許可制になっているから中国には幾らでも在庫があるのに入ってこないのである。その状況が半年以上続いた。

当然、日本の産業界は原料在庫も尽きて生産に支障が出てきたからパニック状態でレアアースの相場は10倍以上に跳ね上がった。当初は1キロ当たり10ドルのものが、何と150ドルまで高騰した話は、このコラムでも何度かふれた通りだ。私自身、レアアースを30年以上も取り扱っているが、単なる機能性素材の一種であるレアアースがニュースになり大騒ぎになったことには、本当に驚いた。

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