「浮気された妻」と「略奪した愛人」日記が語ること 「蜻蛉日記」と「和泉式部日記」を読み比べる

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「わが家」と記されていることから一人称の語りだとすぐ断定できるうえに、「(聞か)じ」という打消意志を表す助動詞などにも、作者の存在感が強く現れている。聞くつもりがさらさらないのに、どうしても感づいてしまう自分、というような具合だ。

私はそんな凄技とは無縁だが、恋人の足音を聞き分けられると言い張る人を何人か知っている。とはいえ、屋敷の外に走っている車の中の咳払いを察知するなんて、とんだ超能力である。

しかも、その優れた聴覚が発揮されるシチュエーションはかなり多い。兼家と愛人が乗り合わせた牛車を音でわかったり、素通りされる瞬間をバッチリ言い当てたりできるみっちゃん。

それぞれのエピソードの信憑性はさておき、「聞くつもりはない」という言葉とは裏腹に、作者がむしろ五感を研ぎ澄まして、一生懸命兼家の気配を感じ取ろうとするのが明らかだ。

そして、幻聴の可能性もあれど、彼女の耳に入ってしまう音は愛する人の不在を強調すると同時に、語り手の存在をよりいっそ誇張する効果をもたらす。行間からみっちゃんの感情が溢れ出し、彼女が置かれている空間がありありと描かれていくが、そこには「わたし」しかいない。その絶望的な孤独は何よりも結婚生活の夢が破れたことを物語る……。なかなか切ない。

『和泉式部日記』三人称の効果

それに対して、(一時的な)勝利を収めている和泉式部は、最初から最後まで三人称に徹している。「女」が好きになってはいけない相手に恋し、「女」が甘い罠に溺れてゆき、「女」が苦しみの末、運命の人と結ばれる……。

『和泉式部日記』は物語に近いタッチであることがよく指摘されており、異質な構造を持っているともいえる。しかし、三人称を用いることで、物語的な演出ができるだけではなく、作者と語られている出来事との間に絶妙な距離が生じて、説得力が増す。ページに収まりきれないみっちゃんの主観に比べたら、はるかに客観的に見えるわけである。

どちらの場合でも事実が大胆に脚色されていると思われる反面、やはり愛を勝ち取った愛人のほうが余裕をぶちかます。

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