「中学から料理担当」女性が病床の母にかけた言葉 娘に料理を任せた母は入院中もお調子者で…

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父が倒れ、嫁姑戦争勃発

そして、時が流れること数年。中学生になった千鶴さんは、とあることがきっかけで、本格的に料理を覚えることになる。幸雄さんがくも膜下出血で倒れたのだ。

「今まで疎遠だった父方のおばあちゃんが、京都からこっちに出てきたんです。たぶん息子を心配したんでしょうけど、ひと悶着どころかなん悶着もあったお母さんとしては、絶縁状態やったおばあちゃんが出てきて、『旦那を取られる』と思ったんでしょうね。実際、おばあちゃん的には『かわいい息子を取り返す。たとえ意識不明でも』って感じやったと思います(笑)。

ある日、病室に行ってみると、お母さんとおばあちゃんが話してるのが聞こえてきて。『遠い山奥から来はって、疲れてるでしょ? もう若ないんですし、無理しないでください。看病は私がしますよ、お義母さん』『お気遣いおおきに。でも、襟子さんこそ体を気遣ったほうがよろしいで。ほら、目の下のクマが』……そんな会話を廊下で聞いて、息を殺して静かに後戻りしましたよね(笑)」

こうして、病室にて勃発した嫁姑戦争。今では笑い話として昇華している印象の千鶴さんだが、「お母さんがあまり家に帰ってこなくなったんです」と、当時を振り返る言葉はなかなか切実である。

「嫁と姑がバトった結果、迷惑を被ったのは私たち子供です。当時、お兄ちゃんは高校生で食べざかり。妹も小学校入学前後で、お腹がすくと泣くんです。でも、以前から手伝いはしてたけど、ひとりで作れるほど私も料理はうまくはなくて、食べるものがない時期がしばらく続きました。なのに、お父さんはなかなか良くならなくて。真横で嫁姑戦争が繰り広げられたから回復が遅なったのか……それとも、回復したくなかったんですかね?(笑)」

そんななか、救いの手を差し伸べたのは、状況を見かねた親戚のおばさんたちだった。彼女たちとも例の駆け落ちがきっかけでずっと疎遠だったのだが、幸雄さんの病気もあって交流が再開。交互に家に来て、料理をイチから仕込んでくれたのだ。

「当時人気だった故・土井勝先生のレシピ本数冊を参考に、放課後に特訓の日々でした。仕込まれた中には『おせち料理』まであったので、今思うと女子中学生のレベルを超えてますよね(笑)」

その後、幸雄さんはなんとか日常生活を送れるくらいまでに回復。本人の仲裁もあり、嫁姑戦争も一旦、休戦状態になったという。

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