(第39回)潜水艦生活から学ぶ無病生活法・その1

山崎光夫

 ヒトが他の動物と違う点は数多くあるが、決定的に違うのは、二足歩行であろう。ヒトは二足歩行を獲得して、両手の自由と脳の発達を見た。ホモ・サピエンス[知恵あるヒト]の誕生である。
 この「考える動物」の基本のキである直立歩行を可能にしているのは、下肢と骨盤を取り巻く骨や筋肉などの運動器官である。ここが支障をきたすと、行動は制限され、ひいては寝たきりをもたらす。ヒトとしての生活は不自由になる。
 「考える動物」であるヒトは、「歩く動物」でもある。

 ところで、ヒトと同じように二足歩行ができる哺乳類に猿やチンパンジーがいる。しかし、ヒトと決定的に違うのは、猿やチンパンジーは長時間の歩行ができず、また、まっすぐに歩くことを苦手にしている。
 さらにいえば、体を大きく左右に振りながらでしか歩けない。しかし、ヒトは左右にぶれずに直線の上をどこまでもまっすぐ歩ける。動物にはできない、ヒトだけが進化の過程で獲得した能力であり、芸当である。

 わたしは、この動物にはできない芸当への注目とその強化が、人間の体力維持や肥満防止、転倒予防、若さの保持のための隠れたヒントになると知った。

 わたしは以前、医学取材を続けるなかで、戦争中に潜水艦の乗組員だったという人に出会った。潜水艦内は、地上ではとても想像できない劣悪な環境に支配されている。艦内は狭くて暗く、空気は悪く、また、野菜の摂取は難しくバランスの良い食事は望めない。しかも、いつ敵艦に襲われるかしれないという恐怖にさいなまれ続けている。
 この世で最も劣悪ともいえる、こうした環境の中で、乗組員の健康をどう保つかは軍医の一大テーマだった。
 その対策のひとつとして、日本の潜水艦の乗組員にはガムが支給されていた。口中の清潔を保つのと、唾液の分泌を促し歯槽膿漏を予防するためである。

 さらに、艦内では散歩はできない。そこで体の硬直化や筋肉の退化を防ぐため、狭い場所でも可能な体操やストレッチが重視される。
 たとえば、手の体操では、両手を合わせて左右から押しつける。逆に強く引っ張り合う。手のひらを合わせて両手指を組んで回転させる、などの運動を奨励した。

 また、長時間の歩行も不可能だから、下肢の屈伸運動は欠かせない。最も効果があるのが、内転筋(ないてんきん)の強化だという。長内転筋と大内転筋から成るのが内転筋で、大腿部の内側(内股部分)と股(もも)のつけ根の奥まったところにある。太股の外側にある硬くて大きな筋肉が大腿四頭筋だから、大腿四頭筋と内転筋はいわば、表と裏の関係にある。

 猿やチンパンジーはこの内転筋が未発達なため体を左右に振らなければ歩けない。
 また、高齢者でがに股風に体を左右に揺らしながら歩行するのを見かけるが、これは内転筋が弱体化したためである。
 二足歩行でいかに内転筋が重要かの証しである。

 艦内で時間がなく運動ができないとき、内転筋を鍛える動作だけ実行すれば他は省略してもよいという。狭い艦内の“潜水艦運動”にいわば、究極の健康維持法が集約されているといってもよいようだ。

 では具体的に、何をしたらよいのか。私も実行している潜水艦体操について次回に紹介したい。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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