スパイ容疑で神奈川県警が誤認逮捕 「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む④

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その供述をまとめた「日本をこうしてスパイした」(文芸春秋1980年3月号)によると、アクショーノフさんは東京の外国人社会での性病治療について内務省に詳しく報告、価値の高い役割を果たしたとされた。とくに、外交官や外国軍人の既婚者が性病にかかった場合の情報は、そうした患者を脅迫して、ソ連のスパイ網に引き込むのに極めて有効だったと強調している。

これに対し、アクショーノフさんは「そのころ米陸軍病院にいたが、一度もラストボロフに会ったことがなかった。東京の中華料理店でたまたま一緒になったことがあったが、話はしなかった。問題にされている性病リストなど見たこともない」と反論した。

その後、ラストボロフ自身も「アクショーノフ氏と実際に会ったことはないが、駐日ソ連大使館の書記官がアクショーノフ氏と接触、同氏から性病に関する情報を受けていた」と述べたという。

逆にアクショーノフさんは、米英両国の情報機関から、ラストボロフを米または英に亡命させる工作を手伝ってくれとの要請をうけていたことを筆者に話してくれた。米、英がなりふり構わず、ラストボロフに亡命工作を展開していたことを裏付ける証言といえる。

レニングラードで突然の逮捕

アクショーノフさんは1968年以降、母ニーナさんと何度か、ソ連を旅行した。ところが、1979年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で突然逮捕された。米国のスパイではないかと疑われたのだ。

KGB(国家保安委員会)はアクショーノフさんがその時持っていた日本語の手紙をソ連の税関に渡さなかったことから,ソ連で誰かに手渡す秘密の手紙だとみていた。このため、約6時間も取調べを行い、厳しく追及した。だが、手紙からは秘密事項は何も発見できず、その他の証拠もスパイの決め手に欠けたことから、その日のうちに釈放された。

さらに翌1980年暮、今度は日本の警察当局に無線機スパイ事件の容疑者として逮捕された。事件は横浜市緑区の高圧送電線の鉄塔建て替え工事現場で、アルミ製の箱から無線機が見つかったのが発端だった。神奈川県警警備部はスパイ事件ではないかと考え、現物を警察庁に送って鑑定するとともに、極秘捜査に乗り出した。

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