六本木でクリニックを開業して大儲け 「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む③

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海運王、アリストテレス・オナシス(写真はウィキペディアより)

開業してから外国人船員の患者が急増した。当時、ギリシャ船籍の船が大量に日本の港に入ってきたためで、それに比例して病気やケガをする船員が急増した。

ちょうどそのころ、アクショーノフさんは、ギリシャの船舶王といわれたオナシス氏と知り合い、親しくなった。その縁でギリシャ船籍乗組員の指定医に指名され、船員の診察・治療を一切任された。このため、事業を一挙に拡大し、四日市(三重県)、名古屋、清水(静岡県)などの港に診療所を開設した。

オナシス氏と知り合ったのは、彼の娘が病気になり、アクショーノフさんが診察したのがきっかけだった。ギリシャ人船員の独占的診察は、クリニックの大きな収入源になった。アクショーノフさんは「うちはギリシャとの関係は深い。ギリシャで財産をつくったんですよ」と言い切っていた。

ギリシャで財産を作ることができたワケ

その裏には以下のような事情があった。一つには、単純に患者の数が増えたわけだが、それ以上に大きかったのは、ギリシャの医療保険システムのお陰だった。このシステムでは、医療費はアメリカの点数を元に計算する。アメリカの点数は非常に高かった。なぜなら、看護費用などの人件費が非常に高いからだ。ところが、日本では当時、人件費はアメリカに比べてかなり低かった。この差額が大きかった。

そのうえ、おカネは米国の為替レートでもらったので、日本との為替差額ががっぽり入った。さらに、好都合なことには、保険会社はそのころ景気がよく、どんどん医療費を請求するよう奨励していたという。

アクショーノフさんは、もうかったおカネで土地を買ったり、ゴルフ会員権や株を買って資産を増やした。その一方、先物取引に手を出して失敗したこともある。

その後、荷揚げ作業のオートメ化が進み、時間が短縮された。今では、荷揚げ作業は大きな船でも、せいぜい2時間で終ってしまう。さらに、1973年のオイルショック(石油危機)で日本に入ってくる船が激減し、清水港と東京港を除いて港湾に置いた診療所は廃止。その後、残る診療所も廃止された。

飯島 一孝 ジャーナリスト、上智大学講師

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いいじま かずたか / Kazutaka Iijima

1948年長野県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。71年に毎日新聞社入社。社会部、外信部などを経て91年からモスクワ特派員、95年モスクワ支局長。97年帰国し東京本社編集局編集委員、外信部編集委員、紙面審査委員会委員長などを歴任。2008年に定年退職。現在、上智大学・東京外国語大学・フェリス女学院大学の各講師。著書『新生ロシアの素顔』(毎日新聞社)、『六本木の赤ひげ』(集英社)、『ロシアのマスメディアと権力』(東洋書店)などがある。

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