戦時下の東京、ひたすら勉学に励んだ

「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む②

ハルビンを再訪したアクショーノフさん

アクショーノフさんは早稲田国際学院を1年で終了し、その後、津軽伯爵の勧めで東京慈恵会医科大学専門部を受験することにした。当時、大正天皇の皇太后が慈恵医大の名誉学長だったからだ。だが、入学試験を受けたところ、筆記試験では43点しか取れなかった。口頭試問とあわせ、平均70点取らなければ合格できない。

それを聞いた高木喜寛学長が自ら、アクショーノフさんの口頭試問の教官を引き受けてくれた。学長は英国に留学した経験があり、英語が得意だった。学長は口頭試問に100満点をつけてくれたので、2つの試験の平均点が71.5点になり、どうにか合格点を超えることができた。

条件付きで入学許可

口頭試問のとき、学長から「とにかく1年がんばって勉強してください。それでできなかったら、あきらめてください」といわれた。いわば条件付入学許可だった。

1944年4月、無事、慈恵医大専門部に入学した。同級生約100人の中に、福井県小浜市出身の大西一二氏がいた。アクショーノフさんより1歳年下だった。名簿順が近い上、外国人のような風貌だったので、お互いに親しみを感じ、生涯の友となった。

大西氏は、アクショーノフさんの学生時代を次のように語る。

「当時は戦時中でもあり、彼はソ連のスパイではないか、と変な目で見られていて孤独だった。彼はいつも一番前の席に座って熱心にノートを取っていた。講義は100%聞き取れなかったこともあり、困ったことがあると私に頼ってきた。しかし、どんなに苦しいときにも笑顔を絶やさず、明るい表情をしていた。彼は頭がいいし、性格もいい、それに体力もあった。3拍子そろっていたので、目的を達せられた」

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