世間を賑わす「iPS細胞」とは何だろうか

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東京大学医科学研究所 教授 渡辺すみ子

 先週末、京都大学山中伸弥教授のiPS細胞の樹立のニュースが大きく報じられた。その夜のテレビは、どこのチャンネルを見ても山中教授がインタビューに応じている姿が映し出されていた。主要新聞のほとんどが社説として扱い、世間の注目度の高さが示されることとなった。
 山中教授は、一般的に考えられる大教授のイメージとは違う、親しみやすく、いつでも穏やかな、そして少しお茶目な先生であるが、今回の大発見を考えると、実は温かな表情に隠された裏に研究室での鬼の形相を想像してしまう。そのくらい我々基礎研究者にも大きなインパクトをあたえるiPS細胞の発見である。
 iPS細胞はinduced pluripotent stem cell(人工多能性幹細胞(※1)と日本語では表現されている)の略であるということである。人工の多能性幹細胞がなぜかくも注目を集めるのだろうか。

iPS細胞とは何か

 ヒトの皮膚の細胞に4つの遺伝子(Oct3/4, Sox2, c-Myc, Klf4)を導入すると、皮膚細胞の形態が変わり、ES細胞(embryonic stem)(※2)のように分化(※3)する能力を獲得した細胞が樹立された。これがiPS細胞である。同様の方法でマウスの皮膚細胞からiPS細胞をつくったことが山中教授により昨年発表されたが、マウスの場合はiPS細胞由来のマウスから生殖細胞をつくりえたので、今回のヒトの細胞も生殖細胞をつくりうる可能性があり、機能的にはES細胞と同等であると考えられる。すなわち「万能」細胞であると考えられる。

 これまでのES細胞は受精卵から作成しなくてはならなかった。そのことはすなわち、すでに個体として成長してしまった我々の体からは、自分と同じ染色体をもつES細胞の作成をおこなえないことを示している。これはつまりこういうことだ。私が卵子を提供し、他人からもらった精子で受精卵をつくったとする。この受精卵からつくるES細胞の染色体の半分は精子由来であるから、免疫的には私の染色体とは一致せず、この細胞を私に移植しても拒絶されてしまうことになる。
 その点を回避するために、単為生殖させた卵子からのES細胞の樹立について特にマウスでは研究がすすんでいるが、充分な量の卵子を提供できるヒトは限られているので、ヒトでの研究は容易にはすすまない。

 韓国ソウル大学でのデータねつ造事件が記憶に新しいが、韓国のグループがめざしていたのは、卵子の核だけをいれかえて、移植されるヒトと同じ染色体をもつES細胞を作ろうというものであった。しかし、この研究はデータのねつ造という問題のみならず、卵子を誰が提供するのか、という問題にも発展し、ヒトの系を用いた研究でその後追随する成果は聞いたことがない。

※1 幹細胞:様々な形態や機能を持つ細胞に分化することができる多分化能力と、細胞分裂をするときに自分とまったく同じ性質の細胞をうみだすことができる自己複製能力をもつ未分化な細胞のこと。
※2 ES細胞(胚性幹細胞):マウスの受精卵は、受精後3~5日で胎盤などの組織に発生していく部分と、マウスの体そのものに発生していく内部細胞塊という部分にわかれるが、この内部細胞塊を体外で未分化なままに培養する細胞株として樹立したものが ES細胞であり、あらゆる細胞に変化する性質・能力をもつ。ヒトのES細胞は1998年に樹立された。
※3 分化:他の細胞に変化すること。
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