中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか?」 120年前を起点に語られる民族復興のストーリー

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1894年7月29日、安城の渡しの戦い。ラッパ手の木口小平が被弾、死んでも口からラッパを離さなかった物語は、長く教科書に載った。なお日清戦争は朝鮮支配を巡る激突であり、戦場のほとんどは朝鮮半島だった(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

「甲午戦争」の惨敗によって、中国人は覚醒した。開戦後の1894年11月に興中会を旗揚げした孫文は、1911年の辛亥革命によって清朝を打倒。その10年後には中国共産党が結成される。1893年生まれの毛沢東、1904年生まれの鄧小平たちは甲午戦争の敗北が引き起こした中国社会の激動のなかで青年期を過ごし、救国への意識を強めた。

そうしたインパクトを中国に与えたという点で「われわれは日本に感謝しなければならない……中国は日本の最も古い先生で、日本は中国の最も新しい先生だ。甲午戦争がなかったら、中国はあとどれだけ眠っていたことか」と劉将軍は語る。

日本との戦いは甲午戦争から始まった

彼は、日本軍の強さの根底には武士道があったという認識のもとに清国軍の腰抜けぶりを慨嘆してやまない。その中国人に、再び「中華民族」としての精神のよりどころを与えたのが中国共産党だという。中国において日本を語ることは、すなわち自国を語ることだということがよくわかる。中国において共産党の正統性を強調するためには、甲午戦争から始まる日本との戦いというストーリーが欠かせないのだ。

中国が日本に「歴史問題」を提起するときは満州事変以降の日中戦争だけを対象にしているわけではない。東アジアの地域秩序はリセットすべきだという発想が根底にある。韓国と歴史問題で共闘したり、日本領とすることが日清戦争のさなかに閣議決定された尖閣諸島を自国のものだと主張するベースにも、こういう考えがあるのだ。

日本の敗戦から70年めとなる来年夏に向け、中国は「歴史問題」を繰り返し提起してくるだろう。その根っこに日清戦争があることを日本人はもっと認識しておく必要がある。

西村 豪太 東洋経済 コラムニスト

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にしむら ごうた / Gota Nishimura

1992年に東洋経済新報社入社。2016年10月から2018年末まで、また2020年10月から2022年3月の二度にわたり『週刊東洋経済』編集長。現在は同社コラムニスト。2004年から2005年まで北京で中国社会科学院日本研究所客員研究員。著書に『米中経済戦争』(東洋経済新報社)。

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