経産省が「産業政策の再評価」に舵を切った理由 「米中対立とコロナ禍」の中で国民的議論を

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重要なのはアメリカの動向である。トランプ前政権の時代から、中国への対抗意識が強まりつつあった。イギリス「フィナンシャル・タイムズ」紙は「産業政策戦争(インダストリアル・ポリシー・ウォー)」の時代が幕を開けたと論評したが、バイデン政権になってこの傾向にさらに拍車がかかっている。

この4月にアメリカ政府が発表した「アメリカ雇用計画」では、先端技術分野への投資や老朽化したインフラの更新に、巨額の財政支出を行うとされている。この計画が予定どおりに実施されるかは未知数だが、国際世論の潮流変化は今や明らかである。将来の経済発展に政府が積極的に関与する。社会的課題の解決に、政府の財政支出を有効に活用する。今回の経産省のレポートも、そのような最新の潮流の中から出てきたものと言える。

社会的課題の解決が強調された「新機軸」

まず、「ウィズコロナ」で打ち出された、新たな産業政策の方向性を見ておきたい。経産省は、これまでも折に触れて産業政策の必要性を訴えてきた。今回の「ウィズコロナ」もその延長線上にあるものと言えるが、同時に、従来型の産業政策では見られなかった(必ずしも前面には押し出されていなかった)理念が打ち出されているという点が重要である。

大きな違いは、社会的課題の解決が強調されている、ということである。従来型の産業政策が、成長や雇用創出に重点をおいたものだったとすれば、今回のレポートでは、「健康」や「人権」、「安全保障」や「レジリエンス」、「温暖化対策」といった新たな政策課題への対応が強調されている点に特徴がある。従来型の産業政策が経済的豊かさの実現に力点を置いたものだとすれば、「経済的豊かさの確保だけではない、多様な『価値』」の実現(p.3)に焦点を当てたものになっているのだ。

この新たな産業政策のあり方は、経産省が発表した別の資料「経済産業政策の新機軸」でも示されている。この資料で目を引くのは、「ミッション志向」の産業政策という文言である(p.11)。従来型の産業政策が「特定産業の保護・育成」や「市場環境(競争環境)の整備」に焦点を当ててきたとすれば、次世代の産業政策はさらに広範な公共目的を達成するものでなければならない。

将来の経済成長や新規雇用の創出を実現するだけでなく、格差の是正や健康面での安心・安全の達成、緊張する国際情勢の中での経済安全保障や、パンデミックや自然災害といった想定外のショックに対する備えといった、多様な公共目的に応える総合的な政策が必要であるというのが、ここでいう「経済政策の新機軸」である。

産業政策を、成長戦略の一環とのみ位置づけるのではなく、多様な政策課題に応答するものとして位置づけ直す。これは、最近の産業政策論でも注目されている論点だ。

この流れをリードしている論者の1人が、UCLのマリアナ・マッツカート教授である。2013年に出版されて国際的な評判となった『企業家としての国家』(日本語訳は2015年)では、最近のアメリカで生まれた新技術の大半が、元をたどると政府の産業政策に起因しているという事実を、豊富な事例紹介によって明らかにした。最近は、気候変動や格差是正などの社会的課題に応える産業・イノベーション政策の必要性を訴えている(例えば以下の記事を参照)。政府は、産業のイノベーションをただ促すだけでなく、イノベーションの方向性にも関与できるし、関与しなければならない。そのような考え方を、マッツカート教授は「ミッション志向」のイノベーション政策と呼んでいる。今回の経産省のレポートも、こうした産業政策論の最新の流れを踏まえたものといえるだろう。

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