(第36回)病気になりたがる人たち・その2

山崎光夫

 会社で辞令が出た後、急に病気になる社員がいる。新しい職場に適応できるかどうか、多少の不安をおぼえるのは誰にでもあることで、そういう環境の変化を乗り越えてこそ社会人としてキャリアアップが図れるというものだ。

 ところが、辞令の内容が意に染まないというそれだけの理由で落ち込む者がいる。
 また、辞令には仕事上の失敗を理由とした懲罰的な異動もある。
 このようなとき、人は逃避的態度をとるもののようで、その恰好の方策として「病気」が選ばれる。
 仮病である。

 体調不良に見せかけ、仮病になる一番良い(?)方法は、息を深く吸ってそのままできるだけ長く息を詰めていること。小学生が学校に行きたくないときに使う古典的方法だが、効果はてきめん。たちまち発熱して、熱っぽい顔から次第に顔色も悪くなる。
 母親は心配して、
 「今日は休みなさい」
となる。
 子どもは、内心、
 「大成功」
とばかり、この日は、家でゴロゴロできる。

 仮病は、政治家にも見かける。都合の悪い事案が発生すると病院に逃げ込む。
 医者の診断書に、
 「心因反応」
などという病名がついて入院が認められる。そして、人の噂も75日で、ほとぼりの冷める頃、退院と相成る。これも、「大成功」。
 私は以前病気に逃げ込み病院に棲みつく男の話を、『詐病』(さびょう)という題で小説を書いたことがある。政治家の仮病を耳にするたび、この作品を思い出す。

 戦争中、徴兵で召集令状=赤紙が届いたとき、徴兵を逃れるために、密かにある方法が伝わっていた。
 醤油を大量に飲んで、表を走りまわる。塩分が濃厚な醤油を飲んで疾走したら不整脈を起こすのは必定。急性心不全を起こして死んだ人も多かった。命がけの、“徴兵逃れ”、忌避方法だった。

 「辞令病」の“辞令忌避”でまさか醤油を飲んで全力疾走はできない。
 しかし、辞令からは逃げたい。“息詰め”は一時的にしか効かない。「心因反応」の診断書をもらいたいところだが、医者も責任を問われるので、そうやすやすと診断書を発行したりはしない。

 辞令忌避で恰好なのが、外見は変わらないが重い病気をかかえることである。会社としても、異動はできない。
 そのひとつに、難聴がある。要するに、急に耳が聴こえなくなってしまう病気を訴える。難聴の原因はストレスはじめ多様なので、仮病には一番良い(?)方法。
 何があっても聴こえないふりをする。社内では筆談風になる。会社もしばらく様子をみるため、辞令は保留、あるいは撤回する。
 社員は、「辞令忌避」大成功!

 だが、聴こえないふりで難聴の診断書はもらったものの、治療は続ける必要がある。
 件の仮病社員が耳鼻咽喉科の医者に罹る。聴こえないふりで医者も騙している。
 診察を終えて、廊下に出た社員、自分の名前を、
 「山崎さん!」
と呼ばれて思わず振り返った。
 これ一発で仮病は露呈した。
 「人間の反射神経は嘘をつかないのです」
ベテラン耳鼻科医の“診断”である。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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