豪州出身34歳の彼が京都でビール造りに励む訳 教師として来日したが気づけば夢を叶えていた

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この頃、トムさんは日本のことはどう思っていたのだろうか?

「実は日本のことはほとんど知らなかったです。有名な漫画作品やアニメ作品は知っていましたけど、それくらいでした。当時知っていたアニメは、例えば『エヴァンゲリオン』とかですね」

トムさんは大学で、スペイン語の授業を選択した。その授業を受けているのは、なぜかオーストラリアに住んでいる日本人ばかりだった。彼らはすでに英語を話すことができて、さらにスペイン語も学ぼうとしていた。

「周りは日本人ばかりで、すぐに仲良くなりました。せっかくだから大学でも日本語を学びはじめました」

そうして日本語の勉強をはじめて3カ月ほど経ったときに、日本へ留学するチャンスが訪れた。申し込んだ人の中から10人に限り、沖縄へ留学できることになった。費用は20万円ほどだった。

「慌てて申し込みましたが、結局申し込んだのは2人でした(笑)。もちろん留学はできました」

中国人、台湾人など、さまざまな国籍の人が参加していた。日本語は、やはり漢字がわかる国の人のほうが圧倒的に理解するスピードが速かったという。

「そのときに知っていた漢字は『一』『ニ』くらいでした。『三』になるともう怪しかったです(笑)。ほとんど英語で乗り切りましたね。

留学中に、ほかの大学に留学に来ている台湾人の女性と付き合いました。その人に教わって、ずいぶん勉強がはかどりました」

いったん帰国したが今度は大阪へ

予定どおりいったんオーストラリアに帰国したが、その後、今度は大阪へ半年間留学することになった。

「大阪の和泉中央に住みました。当時は音楽に興味があったので、クラブやパーティー文化が盛んな大阪は楽しかったですね。少しガラの悪い人たちとも仲良くなって、楽しく過ごしました。もし今だったら、ビーチやサーフィンがある沖縄のほうが住みたいかもですね」

半年間の留学を終えた後、オーストラリアに帰国して、無事大学を卒業した。

「卒業後、日本国内の英語教師の採用に申し込んだらOKが出て、滋賀県の高校で教師をすることになりました」

トムさんが赴任した学校は、そこそこ荒れている学校だったという。トイレに行くと吸い殻がたくさん転がっていた。

「生徒たちはまったく勉強してなかったけど、面白い子が多かったですよ。とくに女の子はみんな勢いがありました。

生徒は誰も英語を話せなかったですから、全部日本語で会話をしなければならなかったです。だから個人的にはずいぶん、日本語の勉強になりました」

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