(中国編・第九話)公共外交

「歴史が動く」というのはこういうことを言うのだろう。大げさなのかも知れないが、会場に集まった多くの人が、その現場に居合わせた高揚感を共有したはずである。 8月3日、会場となった東京・大手町のパレスホテル二階の広いフォーラム会場には20台を超す日本と中国のメディアのテレビカメラがずらりと並んだ。 中国側の王毅駐日全権大使の発言が始まろうとしたその瞬間、時を見計らったように会場に入ってきたのが当時の安倍内閣官房長官だった。

この日から日中関係改善に向けての歩みが始まった
この日から日中関係改善に向けての歩みが始まった

私は最前列の席で安倍氏をお迎えした。今でも赤面するような話だが、私は立ち上がる時に椅子に足を取られて尻もちをつき、安倍氏に「大丈夫ですか」と言っていただいたことをはっきりと覚えている。会場は静まり、固唾を飲んで安倍氏の登壇を見守っている。慌てて立ち上がって安倍氏と握手をした時にその恥ずかしさに声も出せなかった。というか、緊張感で声も出なかった。
そんな私には舞台に立った安倍氏の姿は自信満々で実に大きく見えた。

「私は日中関係を最も重要な二国間関係の一つだと考えています。共通利益を拡大させていくという強い政治的意思の向こうには必ずや新たな地平が開かれると信じます」
堂々と中国側の参加者に語りかける安倍氏。その発言にアジア外交のギアが変わった、と感じ取ったのは私だけではなかったろう。
会場はシーンと静まり、周辺を見回すと、中国側要人の表情が変わり、真剣にメモを取り始めている。これまで新聞などで見かける発言とは全く異なり、次期首相は空白だったアジア外交、日中の関係改善に自ら取り組む姿勢を、この日中の民間対話の舞台で初めて明らかにしたのである。

この時の状況を、私の後方に座っていた日本経済研究センター会長の小島明氏がその後出版した著書「日本の選択<適者>のモデルへ」の中でこう記述している。
「安倍氏が演壇に立つと、会場は次期首相が対中政策について、どこまで踏み込んだ発言をするのか、と張りつめた空気に包まれた。20分ほどの安倍氏の演説は、さながら首相としての対中外交のリハーサルだった。しかも、その内容は二ヶ月後の首相としての訪中の際の発言、さらに合意された「共同プレス発表」と酷似していた」

では、安倍氏の発言の何が、関係改善に関するメッセージとなったのか。
当時の日中関係は"政冷経熱"と言われた。経済は過熱するように相互発展しているが、政治は冷え切っている、という意味であるが、政府は政治と経済はあくまでも別のものとの立場を取っていた。
だが、安倍氏の発言はその二つを両輪と考え、政治が経済に悪影響を及ぼすのを避けるため、政治の関係改善に踏み出す決意をこう明らかにしたのである。

「両国は政治問題を経済関係に影響させてはならず、政治と経済の二つの車輪がそれぞれ力強く作動し、それが結果として日中関係を高度の次元に高めていくような関係を構築していかなくてはならない」
安倍氏の発言が終わり、休憩に入ると、日中の多くの有識者が私に話しかけてきた。
「これはアジア外交の歴史に残る転換だと思う」
「安倍先生の発言は私たちだけではなく、北京に伝わったはずだ。日中の首脳会談はこれで再開に向かって動き出すことができる」
そうした高揚した会話を聞きながら、私はこれまで心の中で温めていた別の達成感を感じ始めていた。民間の非営利が主宰する対話の舞台でも外交の一端を担うことができる、という思いである。
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