WHOが中国に「踏み込みきれない」本当の理由 忖度云々以前に、強い権限を持っていない

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このように、生物学的脅威に関する国際レジームは、BWCとIHRの間で分裂し、加盟国からWHOに与えられた権限も相当に弱い。実際、同じ生物学的脅威を扱っているにもかかわらず、医療・公衆衛生分野と軍縮分野の人材の行き来も相当に希薄であり、「保健と安全保障(Health-Security Interface)の接続」という実態に比して、「保健と安全保障の断絶(Health-Security Divide)」という状況が現実である。

こうした状態を根底に国際的な問題として表出したのが、新型コロナ危機における中国武漢でのウイルス発生源調査である。

各国には調査を受け入れる「義務」ない

OPCWやIAEAとは異なり、WHOは査察権限を持たないため、各国にはWHOの調査を受け入れる法的義務はない。結果、2020年7月にウイルス発生源調査団のミッションの内容が決定されてから、実際に2021年1月に調査団が武漢入りするまでに、半年もの時間がかかってしまった。

しかも、調査といっても、中国が行った危機管理オペレーションなどの政策の適切性を調査する目的ではなく、単純に科学的な調査であり、本質的にOPCWやIAEAが行う査察とは性格が異なる。中国外務省は、1月29日の記者会見で、調査団については「国際的な研究(global study)であって、査察(investigation) ではない」と強調している。

こうした中、EUが主張するように、「国際パンデミック条約」を制定し、法そのものと、それに基づく表奉行たるWHOの能力を高めようとする試みは理解できる。しかし、新たな条約締結それ自体が実現可能か否かについては現段階で不透明であるし、査察権限の付与となれば、現実的ではないだろう。

生物学的脅威を巡る査察は、BWCの文脈で長年議論が行われてきた。アメリカが反対している一方、ロシアやイランが賛成している。アメリカが反対する理由は、主権の問題に加え、医薬品産業に対する査察により産業機密が漏れるおそれがあること、化学剤と比較して生物剤は増殖や隠滅が容易であるなどの点で平和目的の施設と兵器製造施設の区別が困難であり査察の技術的実効性に疑問符が付くことなどである。

一方、ロシアやイランが賛成している理由は、他国から自国への生物学的技術の移転が望める可能性があるからであるとも言われている。

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