41歳で初の名刺を得た彼女が苦悩から脱せた訳 就職難に翻弄され、親との関係にも悩み抜いた

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里美さんは、高校卒業後、文系の大学へ進学。しかし、そこでもまたしても、受難が待ち受ける。世の中は、就職氷河期真っただ中。大学3年で、ほぼ卒業単位を取り終えた里美さんは、土日も関係なく企業説明会に足を運び、1年かけて死に物狂いで就活に励んだ。

学生時代は、就活に全力で挑むことが正解だと考えていた里美さんは、いつでも面接に行けるよう、日雇いで時給も高かったティッシュ配りのアルバイトをしていた。しかし、60社以上面接に回ったが、全滅だった。いくら就活しても受からない。卒業後は奨学金や運転免許のローンの返済も始まる。

アルバイトも入れなくなり、貯金が底をつき、就職の面接に行く交通費がない、履歴書の写真代もないという状況に陥ってしまった。

家も地獄、会社も地獄

そんな状況の中、すんでのところで、採用されたのが中小企業の事務の仕事だった。しかし、そこは完全なブラック企業だった。サービス残業は月に100時間を超え、土日も出勤は当たり前。次々と人が入っては辞めていく。連日の朝礼では経営者から「雇ってやっているだけありがたく思え!」と罵倒される日々。業務量が多く、お昼ご飯が夕方になることもざらだった。里美さんは化粧をしたり美容院に行ったりする時間すらないほど日々の業務に追われた。

そうやって大変な思いをして手にしたわずかな給料だが、いざ働きはじめると母親から金を無心されるようなる。

最初は3万円だったが、5万円と跳ね上がり、しまいには給料の半分を超えるようになる。母親は、月額以外にも「あと1万円、もう1万円」とエスカレートさせていった。「本当は給料は家に全額入れて当たり前」と言って、まるで当然のごとくに巻き上げられていく。弟の学費までも、「姉なんだから、出して当然」と、要求された。

働いても働いても稼いだ気がしない。お金を奪われ生活できなくなる恐怖と無力感が里美さんを襲った。「私の母親にとって、娘のものは自分のものという感覚だったようです。世間では産まれてから育ててもらったことを、よく親に感謝しろというじゃないですか。私の場合、生まれた途端、借金を背負わされた感覚なんです。母親は「今まで育てるのにかかった金返せ!」と怒鳴ってくる。いくら「お金がない」と言っても、給料を何に使ってるかを細かく報告させられ、隙を見つけようとする。まるで借金取りと一緒に住んでいる感覚でしたね」

家を出て一人暮らしをすることを考えたが、その度に、母親には「お前なんかに一人暮らしできるわけない」と、怒鳴られた。そんな金があるなら、家に入れろと言われ、里美さんは口を閉ざさざるをえなかった。

家も地獄、会社も地獄――、まるで奴隷のような生活だった。

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