安田純平氏に聞く「ウィズコロナ時代の生き方」 シリア監禁生活3年4カ月を通して学んだこと

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「まず、内戦中のシリアの周辺取材をしようと日本を出たのが、2015年5月の半ばでした。紛争地の取材は、“虎穴に入らずんば虎子を得ず”というところがあります。ただ、私は部外者ですから、必ずスパイ容疑がかけられます。そのため、事前の情報収集は入念に行い、人脈をたどってシリアの反政府側武装組織の幹部に会うなどして、外国人ジャーナリストを受け入れる組織に話をつけて、現地入りしました」

しかし、2015年6月に行方不明になり、年末に現地武装勢力に拘束されたと報道された。

安田純平(やすだ じゅんぺい)/1974年埼玉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、信濃毎日新聞に入社。在職中にアフガニスタンやイラクを取材。2003年にフリージャーナリストに転身。中東や東南アジアなどの取材を続けている。著書に『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』『シリア拘束 安田純平の40か月』『戦争取材と自己責任』(共著)などがある(撮影:阿久津和宏)

「拘束されたのは、さまざまな悪い偶然と判断ミスが重なり、スパイ容疑がかけられたからです。尋問の後、容疑は晴れたのですが、シリア内部にある集合住宅の地下室のようなところに移送されました。この頃は、食事も出たし、マットレスもあった。この頃の私は、通訳に対し解放の交渉をしていました」

しかし、事態が悪化したのは、武装勢力が「安田さんが人質になった」とある2004年の報道を知ったから。以降、彼らは身代金を狙い、安田さんの自由を3年4カ月もの間、奪った。

「2004年に3日間、イラクで拘束されたことを、日本のメディアが“人質”として報道し、海外メディアがそれをなぞった英語やアラビア語の記事がネット上に残っていた。実際は人質ではなく、拘束されただけなのに、メディアはセンセーショナルな“人質”という言葉を使った。監視役から『おまえは、かつて人質だったのに生きているということは、身代金が支払われたということだ』と言われました。

直前には後藤健二さん、湯川遥菜さんがイスラム国に殺害され、彼らも当然知っていますから、日本政府は身代金を払ってまで拘束された人を助けない、と伝えたのですが、『俺たちはイスラム国とは違って悪者ではない。だから、日本政府は支払う』と言うのです」

人質=お金を引っ張ってくる商品

このときから、安田さんはお金を生む“人質”として、自由を奪われる。人質だからこそ扱いは丁重だった。

「イスラム国とは違うということを強調していました。自分たちだけでなく反政府側全体への評価にも影響しますから。民家に監禁され、部屋のドアと窓は鍵がかかっていましたが、羊毛を使った分厚いマットレスがあり、食べ物もいいものを与えられました。それから、徐々に待遇が悪くなります。

監禁場所は、数カ月おきに転々としていましたが、最初の1年間は、部屋に数百チャンネルを受信する衛星放送アンテナつきのテレビが置かれていたので、NHKワールドで日本のニュースも見られました。このときまでは、身代金が取れると思われていたのでしょうね」

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