大学は甲殻動物から脊椎動物になった?? 古市憲寿×吉見俊哉対談(下)

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結局、大学の「学び」は役に立つ?

古市:話は変わりますが、吉見先生は大学・大学院で学んだことが、アドミニストレーションなどに役立っていますか。

吉見:役に立っていません(笑)。専門の社会学的思考法は役には立たないし、役に立たせてはいけないと思います。大学改革のの現場では、粉々になりながら、頭を抱えることの連続です。その状況を「対象化」していくためならば、社会学は役に立ちます。これは社会運動と同じで、社会学の方法論を社会運動に適応したら、うまくいくか――といえば、そうではない。同じように教育学だって、その理論が教育改革の現場で役に立つとは私には思えません。

たとえば、社会運動のアクティビストは、現場で共に闘っている人やネゴシエーションしている人といった関係性の中で考えている。そうした現場での格闘の中からしか解決策は見つからないと思うのです。その社会運動の経験を理論化していくことには、社会学的思考法は役に立ちますし、これまでの社会学者が考えてきた、理論、方法論は有効だと思います。

古市:今、大学や大学院で学んだことが「何の役に立つか」「社会でどう役に立つか」が問われています。吉見先生が「社会学を学ぶとどう役に立ちますか」と聞かれたら、どう答えますか。

吉見:やっていることを相対化するには役に立ちます。ただ、私には、世の中が「直接的に役に立つこと」を求めすぎていると思います。直接的に役立つのではなく、役立ち方があると思うのです。エマニュエル・カントが大学について「有用な学とリベラルな学の結合」と言ったように、「役に立つこと」と「自由であること」はつながっている。社会学は、自由であるための「知」であり、回り回って「自由であることの知」が「役立つことの知」につながることは十分にある。「役立つこと」だけを求めていると、本当に革新的な知は生まれない。「知」が本当に「役立つ」ためには、前提として「自由であること」が必要なのだと思うのです。

(構成:林 智之 撮影:風間 仁一郎)

■このインタビュー始め、ニッポンの大学論は26日土曜深夜(27日日曜0時)
Eテレ「ニッポンのジレンマ」で。http://www.nhk.or.jp/jirenma/
4月のジレンマは「"救国"の大学論 2014」。好評だった去年の9月と同名のテーマのもと、さらに深い議論を展開します。「スーパーグローバル大学」など、グローバル化への大号令を受けて、日本の大学はどのように進化して行くべきなのか。「宮本武蔵主義の学問」「驚く力を大学にこそ」「教養は武器になるか」などの論点が飛び出し、大学談義は尽きません。今回も、熱いです。

 

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