「下村治は積極財政の支持者」論に覚える違和感 中野剛志氏の一面的な下村観に異議あり

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中野氏が東洋経済オンラインで紹介した下村氏の財政拡大論は、はたして現在の経済状況を改善することに役立つのだろうか。まず終戦直後の下村氏の議論は、敗戦により生産設備が破壊され、供給力不足になっている状態である。一方中野氏によれば、現在は需要不足から起きるデフレであり、この状況から脱却するために政府投資の拡大→インフレ→民間投資の拡大→生産能力の拡大→インフレ抑制というプロセスによる経済回復を図るべきだと主張する。

時代背景がずいぶん異なるのではないかという疑問以上に、筆者には、1990年代の経験から中野氏の想定するプロセスについて懐疑的である。

バブル崩壊直後に日本は、日米貿易摩擦によりいわゆる「前川レポート」で、10年間にわたる400兆円を超える財政支出をアメリカと約束している。もちろんこれは実際に支出される「真水」を超える部分やGDP(国内総生産)に含まれない土地代なども含まれているが、それでも1990年には35兆円程度であった公的資本形成は1992年以降1999年まで毎年40兆円を超える支出となっている。

しかし1990年代半ばから日本はデフレに陥り、1999年の民間投資は、いったん低下した後ようやく1990年の水準に戻った程度なのである。中野氏は、それは政府支出が足りなかったからだと反論されるかもしれないが、アメリカからの圧力もあって積み増した政府支出をさらに増加させる政策を、晩年の下村氏は評価しただろうか。

政府支出を何に使うのかを問うべき

中野氏は政府支出の中身については議論されていない。だが、下村氏は、財政も国民生活の向上に使われるべきだと考えておられた。1970年代初期に政府主導の積極財政を述べる際にも、福祉水準の向上や公害のない国土建設に言及している。もし下村氏の議論から学ぶというならば、中野氏もまた今政府支出を何に使うのかを書くべきだろう。

ちなみに筆者は、政府の社会資本の生産力効果については、規制緩和などの構造改革も併せて実施すべきという立場である。こうした考え方については、中野氏だけでなく下村氏も同意しないかもしれない。しかし、いま国民が政府に求めていることは何だろうか。おそらくIT技術など最先端の技術を政府に取り入れ、新型コロナウイルス感染拡大に関する情報を正確に国民に伝え、そして感染防止策に対する補償を素早く実施することだろう。

第2次安倍政権は、その発足当初から成長戦略の一環として「世界最高水準のIT国家を目指す」というスローガンを掲げてきた。国民が望んでいることは、そのスローガンをこの感染症対策の中で速やかに実施することではなかろうか。政府の資金調達に不安がなかったとしても、成長戦略や構造改革を伴わない政府支出の拡大は日本経済の回復をもたらさないだろう。

下村氏は、スケールの大きい独特のエコノミストだったが、逝去されて30年以上がたつ。氏の議論が有用だとしても、平成期におけるわれわれの経験を加味していかなければ、下村氏の議論を真の意味で現代に生かすことにはならないのではないか。

宮川 努 学習院大学経済学部教授

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みやがわ つとむ / Tsutomu Miyagawa

1978年、東京大学経済学部卒業、1978年~1999年日本開発銀行(現日本政策投資銀行)勤務、1999年から現職。2006年経済学博士号修得。最近は生産性に関する実証研究に取り組む。著書に『生産性とは何か』(ちくま新書)、『インタンジブルズ・エコノミー』(淺羽茂氏、細野薫氏と共編、東京大学出版会、2016年)、『Intangibles, Market Failure and Innovation Performance』(Bounfour氏と共編、Springer、2015年)。

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