「手塚治虫AI漫画」とAI美空ひばりの決定的な差 あくまでも「手塚を学んだAIの新作」である

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一方、「手塚治虫AI」の場合は同じAI×クリエーターであっても美空ひばりとは意味合いが異なる。「手塚治虫AI」は、「手塚治虫が生きていたら」という発想から生まれたものの、つくり出すのは手塚自身ではない。目指しているのは、あくまでも「手塚らしい作品」だ。

手塚治虫の娘で手塚プロダクションの取締役を務める手塚るみ子がTwitterで「そもそも手塚治虫の新作って思ってないし。AIなんだから」と書いているように、「TEZUKA2020」は実態としてAIとのコラボによって手塚ライクな作品をつくるプロジェクトといえる。出来上がるのはあくまでマンガであって、直接的な手塚治虫という人間(らしきもの)ではない。この点が「AI美空ひばり」との大きな違いだ。

もちろん線描や思考、出来上がった作品は作者の肉体や人格と無関係ではない。だが、作者が亡くなった後に残された作品の新作がつくられることは、コンテンツ業界ではAIが発達する前からずっと行われてきたことでもある。

例えば『ドラえもん』の劇場版など、偉大な遺作が故人の手を離れ、さらに育てられていくケースは多い。そうしてつくられた作品に対するファン(とくに原作原理主義的な)の反応はさまざまだろうが、それ自体が冒涜と言われることは少ない。「作者の蘇生」ではなく、「作品の再生」であれば、倫理的な反発は少ないのだ。

AIが切り開く「新しい可能性」

そういう意味で「手塚治虫AI」は、従来人間がやってきたことにAIという技術を加えたプロジェクトにすぎない。

「ぱいどん」を含め、AIが今後どれほどの精度で、どのような作品を生み出すかは未知数だが、どこまで行っても「手塚治虫の新作」ではなく「手塚を学んだAIの新作」であるという線引きが明確である限り大きな問題にはならないだろう。

さらに、AIの登場は新しい扉を開く可能性を秘めている。これまでは遺作の新作続編をつくることはできても、故人を模した「完全新作シリーズ」をつくることはまずできなかった。パロディーのような形ではあっても、それは「手塚治虫の新作」というより同人誌的なノリが否めない。

だが、AIが「手塚の新作」をつくるというプロジェクトなら、より正統派な新作シリーズが成立するかもしれない。AIの発達は「手塚ではないが、手塚らしいもの」という可能性を開いていこうとしている。1人のマンガファンとしては、そこに素朴な好奇心をかき立てられるのは事実だ。

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