30歳を過ぎると恋愛市場のルールが変わる? 真木よう子似、コンサル出身美女と語る

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小学生のときから打ち込んでいたスケートで、インターハイ出場経験もある平林さん。朝5時起床で「朝練」をしてから登校し、昼練、夜練もこなすという体育会系だった。本来はデスクワークよりも体を動かすほうが向いているタイプなのだろう。予備校の自習室にこもってひたすら勉強をしていた受験生時代は、「気がついたら自宅の部屋で打ち水をしていた」ほど精神的に追い詰められていたと振り返る。

SFCに入ってからは、一転して自由で気楽な生活になった。大学受験に苦労した者なら誰もが覚えているはずだ。目の前が灰色からスカイブルーに変わるような喜びと開放感を……。ただし、家業を継いで経営者になりたいという平林さんの目標はぶれることがなかった。

「高校まではずっとスポーツをしてきたので、大学では経営に近づこうと思って、ビジネス系のサークルに入りました。アルバイト先はSFCの卒業生がやっているITベンチャーです。組織を動かすのは本当に大変だな、と感じたので、どうせ勉強するなら本場に行きたいと思って、ボストン大学(院)で組織論を1年間学びました」

配属5日でホンダを退職

修士号をひっさげて家業に入る、という選択はしなかった。まだ修業が足りないと感じたからだ。ほかの会社で「ものづくりマインド」を学んだうえで、30歳前後で継ぐというビジョンを描いた。日本を代表する製造業と言えば自動車メーカーだ。平林さんは秋採用でホンダに入社した。

「6カ月間の研修は本当に楽しかったです。4カ月いた工場では1万台ぐらいは車作りに携わったと思います。昼休みも工場内をフラフラしているような変な新人でした。2カ月間の販売店実習を終える頃に、配属先の希望を聞かれます。私は購買から販売に至るまでの製品にかかわるところで働きたいと伝えました」

平林さんはやる気に満ちあふれていた。ホンダに入ったからというだけで2輪の免許も取ってしまったほどだ。

しかし、配属先はまさかの総務。社会保険担当だった。文系社員の場合、入社時の部門からほかに移る可能性は薄いことも知った。

「ピンポイントで(配属先の希望を)外してくれたな、と思いましたね。製造ラインに入ったらトイレ掃除でも喜んでやったのに……。SFC卒のマスターホルダーに社保のハンコを押す仕事を割り振るとは思っていませんでした。後で聞いたら、ホンダの工場総務には修士や留学経験者もゴロゴロいるらしいです。人材の墓場ですね。でも、会社の都合もわかります。私が社保担当になったのは、直前に寿退社をした人のスライドインだったらしいです。だから、『絶対に配属先を替えてください』とは言いませんでした。言いませんでしたけど、私の人生ですからね。5日後に退職しました」

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