「通勤電車のドア」何カ所あればベストなのか 一時期は6扉や5扉の車両も登場したが…

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JR山手線のE235系電車。通勤電車は片側4扉のスタイルが標準的だ(写真:tommy/PIXTA)

首都圏を中心に、都市部の通勤電車では当たり前のスタイルである片側4扉の車両。札幌や名古屋、大阪などJRは3扉車が主体の地域でも、地下鉄は4扉の路線が多い。乗り降りが多い路線の標準的なスタイルといえる。

扉が多ければ、それだけ乗り降りの際の時間が短くなるであろうことは誰もが想像できる。「それならばもっと扉を増やしてもいいのではないか?」と思う人もいるかもしれない。実際、さらに数の多い車両もある。

一方で長距離の利用者からすれば、扉が多ければ座席の数は減る。「扉の数を減らしてもっと座れるようにしてほしい」という意見もあるだろう。

通勤電車の標準的なスタイルはどんな経緯で生まれ、一般化したのだろうか。

戦時中に生まれた4扉車

日本の鉄道に4扉車が登場したのは戦時中のことだ。最初の例は現在のJR鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道に登場したが、現在に続く標準的な通勤電車のスタイルを生み出したのは、戦争末期の1944年に登場した国鉄の63系電車だ。

軍需工場などへの通勤輸送を担うため大量の人を運べるように開発されたこの車両は、限られた資材で効率的に生産できる極めてシンプルな「戦時設計」の車両だったが、1両の長さが20m、ドアは片側4扉というスタイルはこの車両から始まった。通勤電車の車体の長さは、戦前にはすでに20mへと移り変わっていたが、4扉を採用したのは初めてだった。

戦後、63系は戦時中の酷使や空襲被害などで車両不足に陥っていた大手私鉄各社にも供給され、通勤電車のスタンダード・スタイルを作り上げた。

当時、各社の線路や駅などのインフラは一部路線を除いてこの大型車両に対応していなかったため、各社はインフラの規格向上を急いで進めた。その結果として大幅な輸送力増強を実現し、高度成長期に大型通勤電車を導入できる素地を生んだ。

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