認知症でも「言葉にならない動機」は確実にある 脳科学者が注目する、自覚できない情報・感情

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それが認知症になった後でも、われわれの「これが好き」「あの人はちょっと……」という選択能力を支え続けるのです。

理性的に論理展開できることよりも、私は好き嫌いや良しあしを瞬時に選び取る能力のほうが生物としてずっと大きいと感じています。またその判断は十分信用に足るものだとも思っています。自分の意識できるところはほんの一部で、われわれの意思決定はその背後の山の膨大な領域が担っていることが重要なのです。だから海馬が傷ついたとしても、人間の脳にはまだまだ希望があると思うんですよね。

脳で要約しない認知症の人はすべて本当のことを言う

――最後に恩蔵さんにお聞きします。認知症の方といると、「まったく正反対のことを言う」状況に出くわします。要は話す内容のどちらが本当だかわからないというものです。これはどう考えたらいいのでしょうか。

それは私も経験があります。でもどちらも本人にとっては、本当のことなんですよ。

母は昔から音楽が好きで、今でも友人と演奏会に行っています。あるコンサートから自宅に帰ってきた母に「今日の演奏会、どうだった?」と聞くと、「もうっ、全然よくなかったわ」と答えたのです。さすがに私も「ええっ?」と思うじゃないですか。「せっかくお友達が母を演奏会に連れて行ってくれたのに、まったく何てことを言うんだ」と。

それでしばらくして、もう1度母に聞いてみたのです。「今日の演奏会、本当はどうだったの?」と。そうしたら「すっごいよかったわよ」と満面の笑みで答えてきました(笑)。そこでまた私は「ええっ?」と驚くわけです。

でも落ち着いて考えたら、どちらも母にとっては本当なのだと思いました。母を連れて行ってくださった方は長年の親友です。電車に乗って演奏会に行って、ちょっとお茶をしてまた家に帰る。なんだかんだで往復6時間はかかったと思います。

親友とは今まで、余計なことを言わなくてもツーカーでコミュニケーションが取れていた。でも今までどおりには意思疎通が測れないところがあったのかもしれません。母にしたらそれは悲しい出来事ですから「全然よくなかった」わけですよね。一方で「あのバイオリンの旋律がよかった」という瞬間もあったでしょう。6時間もあったら、いろいろな感情が渦巻いて当然ですよね。

同じようにこの取材が終わって、私が誰かに「インタビュー、どうだった?」と聞かれたら「うん、何とか頑張った」と答えるかもしれません。前々回でお話ししたように、脳は概略やエッセンスをまとめる癖があるので、大方の人は一言で要約して感想をおっしゃると思います。

でもこの取材の最中も、私がまどろっこしい説明をして自分で苦しく感じたり、面白い質問をされて楽しいと思ったり、いろいろなことがありました。苦しい時間帯と楽しい時間帯の両方があった。矛盾したことを感じているというのが本当なのです。私と横山さんが感じた取材時の感情の波と同じように、認知症の人もいろいろな感情を持っています。

概略だけ押さえるのではなく、また意識にのぼっている部分だけに注目するのではなく、裏側にあるさまざまな状況、感情を意識する。多くの方が自覚できない情報や感情をもっと感じて生きていけば、社会も優しく変わると思うんですよね。

横山 由希路 フリーランスライター・編集者

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よこやま ゆきじ / Yukiji Yokoyama

神奈川県生まれ。東京女子大学現代文化学部卒業。エンタメ系情報誌の編集を経て、フリーに。コラム、インタビュー原稿を中心に活動。ジャンルは、野球、介護、演劇、台湾など多岐にわたる。

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