巨大電波望遠鏡を支える手作りの超伝導素子 宇宙の始まりを探るALMAプロジェクト

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試作が進む受信機の数々

66台のアンテナにはそれぞれ、アンテナ本体のほか、受信機が内蔵されている。カメラに例えれば、アンテナはレンズで受信機はCCD(またはフィルム)。この感度が、どれだけよく見えるかを左右する。

受信機は、アンテナ1台あたり、10台が用意されている。ラジオなら限られた周波数帯の電波を受信できればいいのでコンパクトだが、電波望遠鏡の場合は、より広い帯域の周波数の電波をキャッチする必要があるので、周波数帯を10に分割し、得意な周波数帯ごとに1台の受信機を用意するのだ。

国立天文台はバンド4、8、10を担当

10の受信機には、担当周波数帯が低い(つまり波長が長い)方から、バンド1、バンド2、と名前がつけられていて、そのうちのバンド4、バンド8、バンド10は、日本の国立天文台が開発を行った。

開発担当者に話を聞くため、国立天文台の三鷹キャンパスへお邪魔する。調布飛行場と国際基督教大学と深大寺に囲まれたような立地だ。森林公園のような敷地内には、ぱらぱらと建物が建っていて、見学者を意識したしつらえがいくつも見られる。

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船大工が作ったという木製のドーム

最も目を引いたのは、第一赤道儀室。ここで最古の建造物だ。1921年、東京駅で原敬首相が暗殺された年に、建造が始まった。丸いドーム部分は木製で、船大工の手によるものだという。口径20センチの望遠鏡はドイツのツァイス製だ。今もなお現役で、太陽観察会に活躍している。

ちなみにボクも、赤道儀を持っている。ビクセンのものである。当然、天体望遠鏡も持っている。それなりの値段がした。ところが今、ヨドバシカメラなどで見ると、デジカメ用の小型の赤道儀はかなりお手頃価格だ。ボクが驚くくらいだから、第一赤道儀を作った人たちが見たら、腰を抜かすだろう。

国立天文台の歴史は長い。正確な暦を作るために天体を観測するようになったのは、江戸後期。浅草に拠点を置いていた幕府天文方がその役割を担っていた。葛飾北斎による富嶽百景にもその様子が描かれている。

天文台はその後、より観測がしやすいように、土地が高く周囲が暗い場所を求めて移動を重ねる。本郷、麻布、そして1924年には三鷹へと移った。その翌年の1925年には、だれもが一度は触ったことがあるのではないかと思われる、あの『理科年表』が刊行されている。

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