日立造船M&Aで、発明家が損害賠償訴訟 買収した技術ベンチャー旧経営陣と泥沼の争い

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壮大だった成長計画

問題の技術は、原油採掘向けのFRP(繊維強化プラスチック)製高圧油井管の製造技術。一般に原油採掘に使われるステンレス管は1~2年で腐食するが、西野氏が開発したFRP管の耐久年数は約40年。強度も2倍だ。年間に12万本製造可能な生産設備の開発にも成功したため、資金力があるパートナーと組み、FRP管製造に着手する構想だった。この事業化の過程で事件が起きる。

当初の計画は壮大だった。2008年春、米国のファンドから3200万ドルの出資が決定。同ファンドの事業計画は、3年後の11年度には年600万本で1800億円の売上高をもってニューヨーク証券取引所へ上場。そこで新たに資金調達を行い、5年後の13年には年1200万本、3600億円の売上高とするというものだった。

だが、リーマンショックでこの出資が頓挫。西野氏は古巣の日立造船に出資を持ちかけた。09年1月、日立造船と基本協定を締結。日立造船の条件は「当初の出資は2割に抑える。ただし1年かけて技術を見極めたうえで経営権を獲得する」というものだった。

西野氏側のアドバイザーについた弁護士や銀行は経営権を失うような協定には反対したが、「古巣を信用しすぎていた」(西野氏)。NBLは09年3月に1年後を行使期限とする新株予約権(権利行使後は日立造船の保有割合が過半数)を無償で発行した。

だが、たちまち両者の関係はぎくしゃくする。日立造船側は「技術の見極め費用」として約束していた上限1.6億円の融資を凍結。保有割合を3分の2以上に引き上げる要求に加え、予約権の権利行使の条件として、西野氏の退任も要求してきたという。

そのため西野氏側は日立造船からの支援をあきらめ、別のスポンサー探しを始める。ところが、日立造船は権利行使しNBLの経営権を獲得。一方の西野氏らは10年4月、日立造船側に別のスポンサーへの会社資産などの売却を提案。その直後、5月の株主総会で、西野氏ら旧経営陣全員が取締役を解任された。

その後、西野氏らは新たに「NBL研究所」を設立し、独自にFRP管の事業化に乗り出した。

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