両立困難で大企業を退職。そのとき母は? 強烈な焦り、孤独感…そして再起へ

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大洲さんは、日立製作所の文系総合職出身だ。入社直後は中部支社に配属され、システムの営業を担当した。

転機がやってきたのは、24歳のころ。友人の紹介で知り合った愛知県の病院に勤める医師のご主人と結婚した半年後、東京の宣伝部に転勤の辞令が下ったのだ。

「私はずっと仕事をしたい人間だから、恋愛して誰とくっついた、別れた、うんぬんやるのが面倒で、早く結婚しました(笑)。なのに、こんなに早くに異動があるとは。もっとも、宣伝部への異動は念願でしたから、単身赴任を選択しました。主人は、私が広報をやりたがっていることを知っていたので、反対しなかったですね」

宣伝部にいた2005年には『愛・地球博』のプロジェクトに携わり、カスタマー対応を担当した。そして、地球博会場で現在の子どもが置かれた環境を目の当たりにし、「日本の未来への危機感を強めた」のだと言う。

「日立館は、日によっては8時間待ちなんてときもある人気アトラクションでしたので、中には、びっくりするほど強引に割り込むお客様もいらっしゃいまして。日本の子どもが育っている環境は、今、こんなことになっているのかと、あぜんとしましたね」

この頃から、日本の親子を取り囲む環境を何とかしたいという社会貢献の意識が芽生えたと言う。

気がつけば、単身赴任は4年半に及んでいた。ウイークディは激務に追われ、週末はご主人のいる愛知県に戻る生活は体力的にはきつかったが、広報という天職に恵まれ、充実した日々だったと言う。

「将来的には海外赴任も経験したいと、申請も出していた」というほど、ハイキャリアの追求に燃えていた。

退職後にやってきた苦悩

だが、2008年、大洲さんに再び転機が訪れた。双子を妊娠したのだ。

「妊娠はうれしかったのですが、会社を辞めるのは本当に泣く泣くでした。家族の理解がもう、限界にまで来ていたのです。それに、双子だったから、つわりもひどくて、お医者さんに安静にしていろと言われました」

ご主人の仕事は医師だから、ご本人の意思次第では、日本全国で働くことが可能だ。だから、大洲さんも、単身赴任当初は、ご主人が東京で仕事を探すのはどうかなんて話もしていたそうだ。

「でも、いつしかそんな約束もなくなってしまって……。一方の私が、名古屋勤務を希望しても、ポストがすぐ空くわけではありません。どうにもならない状況が、悔しくて仕方がありませんでしたね」

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