米国エアバッグ事故、大規模リコールの代償

優良企業の蹉跌

1月23日、オートショーでは次世代の洗練されたスタイルや高性能エンジン、先進的な環境技術などが脚光を浴びる一方、エアバッグのような部品に大きな関心が及ぶことはあまりない。しかし、米自動車業界では今、エアバッグに改めて注目が集まっている。エアバッグメーカー「タカタ」の都内にある本社前で昨年4月撮影(2014年 ロイター/Yuya Shino)

[デトロイト/東京 23日 ロイター] -今月13日にデトロイトで開幕した北米国際自動車ショーには世界の最新モデルなど500台以上が並び、米国経済の堅調さを象徴するかのような活況を呈している。

オートショーでは、次世代の洗練されたスタイルや高性能エンジン、先進的な環境技術などが脚光を浴びる一方、エアバッグのような部品に大きな関心が及ぶことはあまりない。しかし、米自動車業界では今、エアバッグに改めて注目が集まっている。

数年前に米国内で起きた日本メーカー製エアバッグによる死亡事故やそれに関連する大規模なリコール(回収・無償修理)が続き、昨年もまた実施されたからだ。欠陥エアバッグを製造、販売したのは、日本車を中心に世界の自動車メーカーに製品を納入しているタカタ<7312.T>。少なくとも2人が命を失った一連の事故やリコールの結果、同社は2013年度3月期に約300億円の特別損失を計上した。この後、同社は創業以来の同族経営を転換し、外国人をトップに迎える大きな組織改革も実施している。

ロイターの取材によると、同社のエアバッグ事故と大規模リコールが起きた今回のケースは、安全を確保すべき品質管理のほころびが重大な代償を招いた典型例だった。その背景には何があったか、再発の懸念は完全に封じられたのか。米政府当局の資料や関係者の証言をもとに、事故をめぐる議論を検証する。

エアバックの帝王

話は30年近く前にさかのぼる。1985年にホンダ<7267.T>が開いた新年の賀詞交換会に出席したタカタの高田重一郎社長(当時)は、ホンダ側から打診されていたエアバッグ事業への本格進出をきっぱりと否定した。

織物製造会社として創業したタカタは、すでに自動車のシートベルト事業を手がけていたが、エアバックの量産には乗り気ではなかった。経営戦略として危険すぎると判断したからだ。

「そんな危ない橋は渡れない」。同席した本田技術研究所の開発担当者(当時)、小林三郎に高田はそう話している。

しかし、タカタが生産する織物の丈夫な品質を高く評価していた小林は、それを使ったエアバッグシステムに強い関心を抱いていた。小林は1980年代半ばにホンダの新しいエアバッグシステム事業を主導した人物である。小林の著書によると、彼は丈夫な織物を使用したエアバッグを作るよう要請。最終的に、高田は決意を翻し、「危ない橋」を渡る決意を固めた。

数年後、タカタはエアバッグだけでなく、膨張装置であるインフレーターも手がけるようになった。創業時の織物製造業からは遠く離れた新事業は順調に成長し、タカタのエアバッグは多くの自動車に標準装備として採用された。同社は世界でも上位3位に入るメーカーとなった。

高田は2011年に74歳で亡くなったが、彼は生前、米経済誌フォーブスに資産額約9億ドルをもつ日本で29番目の富豪として紹介されたことがある。その資産の源泉はエアバッグとシートベルト事業の拡大であり、彼には自社の製品によっておそらく何千人もの命を救ったという功績があった。

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