「5時に夢中!」がぶち壊したテレビの常識 大川貴史プロデューサーに聞く

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当時、「5時に夢中!」の前にやっていた番組が「帯番組はおカネがかかるから」という理由で打ち切りになる予定でした。それが突然、上層部が「やっぱりやる」と言い出し、準備もギリギリで始まった番組が「5時に夢中!」でした。「あんなオカマをだして」という上層部の批判にも、「どうせ誰も見てないし、いいでしょう!?」と強気で言い返していました。

個人的には、マツコさんとは同い年で、番組当初から勝手に親近感を持っていました。僕は大学時代まで野球部、それも全寮制の野球部だったので、筋金入りの野球少年です。一方、マツコさんも野球が大好き。マツコさんは千葉県出身ということもあり、習志野高校を異常に応援していたり、拓大紅陵が強くなってから甲子園に興味がなくなったなどと野球に詳しく、話が合いました(笑)。当時はマツコさんも今のように大スターではなかったので、毎週番組が終わってから、スタジオ近くの居酒屋で反省会をしていました。そして、その反省会でもマツコさんの独壇場になるのですが、その話がどれもまた面白い(笑)。

「5時に夢中!」の人選は、実は「たまたま」です。マツコさんも、当時、携わっていた番組の司会だった徳光正行さんからの紹介で、ほとんどが飲み屋つながりか、人の紹介です。正式に芸能プロダクションを通してということはこれまでほとんどありません。

水商売界の「めざましテレビ」が生まれたわけ

――番組自体はどのようなコンセプトで始めたんですか?

それ以前にやっていた5時台の番組は、会社からおニャン子クラブが出ていた「夕やけニャンニャン」のような中高生向けの番組を作ってくれと言われていて、アイドルを出演させて生放送をしていました。ただ「夕やけニャンニャン」の時代と違って、現在の夕方5時は都内の中高生は塾などで家にほとんどいない時間帯なのです。

実際、視聴率のデータを調べてみたら、若い主婦層がよく見ているということがわかりました。勝手なイメージですけど、旦那がいない時間にひとりで悶々としていると(笑)。当時、僕も30代前半で、視聴者層と同世代。僕らは、「テレビが一家に1台」の時代で、部屋では「深夜ラジオ」を聞いていた世代です。そこで、「5時に夢中!」のスタートにあたり、深夜ラジオっぽく始めようと考えました。最初は元「男闘呼組」の前田耕陽さんとか元「シブがき隊」の布川敏和さんとかに出ていただいていて、主婦向けのぶっちゃけワイドショーをコンセプトにすることにしました。

ただ、放送を続けていくと、だんだん「二丁目関係」の人を中心に水商売関係の人のリアクションが「むちゃくちゃいい」ことがわかってきたのです。それで、あっさり方向転換しました。それが、「5時に夢中は“水商売界のめざましテレビ”」と言われるきっかけかもしれません。

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