イチローの「28年間」が変えた日本人の野球観 すべての野球ファンの中心にいたスター選手

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NPBとMLBは、歴史も試合数も異なる。日本のメディアは大騒ぎをしたが、アメリカでは当のローズをはじめ「日米通算」に異論を唱える人が多かった。しかしアメリカでも、イチローの驚異的な持久力と、野球に対する真摯な姿勢をリスペクトする人が増えて、日米通算記録を容認する空気が広がっていった。

2016年6月15日、日米通算4257安打を記録し、ローズの記録を抜いた際には、敵地サンディエゴだったにもかかわらず、試合は中断され、観客はスタンディングオベーションでイチローを讃えた。1人のプレーヤーが、野球の本家、アメリカの価値観を変えたのだ。

筆者は長年野球の記録を愛好してきた。記録マニアの立場からは「日米通算」にもろ手を挙げて賛成する気にはなれない。しかし、リーグこそ違え、28年もの長きにわたって一線で活躍し、誰よりも多くの安打を打ったこと自身は偉業というしかない。

この時期から、アメリカの代表的な野球データサイト「Baseball Reference」は、MLB、NPB、マイナーリーグなどのすべての成績を合算した「All Level」という項目を追加した。MVPの重要な選考指標であるWAR(Wins Above Replacement)を発表している権威あるサイトが「日米通算」を実質的に容認したのだ。

3月21日に起こったこと

3月21日、マリナーズの菊池雄星がメジャー第1球を投じた直後に、MLBサイトは「イチローが第一線を退く」というニュースを発信した。そのタイミングは周到に計算されたものだった。観客席にはざわめきが静かに広がっていった。

試合が終わったのは23時過ぎ。しかし、観衆は席を立たず、三塁ベンチに向かってイチローの名を呼び、拍手をした。ウェーブも起きた。何のアナウンスもなかったが、人々は彼が再びグラウンドに表れることを信じて疑わなかった。

果たして15分後にイチローはダッグアウトから飛び出し、報道陣を引き連れてグラウンドを一周した。最後に帽子を取って歓声に応えたイチローの頭は白かった。

大歓声が起こった。嗚咽をあげているおじさんがいる、あたかも森林浴のように、手を広げてその場の空気を浴びようとしている若者がいる。観客も、メディアも、その場の誰もが、「イチローと別れたくない」と思ったのだ。

その後の会見でイチローは「今日のあの球場の出来事、あんなもの見せられたら、後悔などあろうはずがありません」と言った。

あの日、東京ドームでイチローに「さよなら」を言った野球ファン各位は、銘すべし。

(文中敬称略)

広尾 晃 ライター

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ひろお こう / Kou Hiroo

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイースト・プレス)、『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」ワールド~』(オークラ出版)など。

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