大船、「ハリウッド」になり損ねた鉄道の要衝 松竹が造った映画の街に俳優は住まなかった

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約5.3㎞のモノレール線は、開園から約2年後の1966年に運行を開始。同線には途中駅がなく、まさにドリームランドためのモノレールだった。

しかし、このモノレールはトラブルが頻発したことから開業から1年半で運行休止を余儀なくされる。ドリームランドへのアクセスはバスになり、それが道路渋滞の原因になった。深刻な渋滞は来場者を遠ざけ、それがドリームランドの経営を圧迫していく。

赤字を一掃するため、ドリームランドはテーマパークの一画を県と市に売却。1972年には横浜市住宅供給公社が700戸超のドリームハイツという名称の集合住宅を、その翌年には神奈川県住宅供給公社が1500戸超のドリーム団地を竣工した。

ドリームランドに隣接する団地群は駅から遠くて不便なため、団地の自治会がモノレールの運行再開を要望した。モノレールの運行者であるドリーム開発は、運行再開に約80億円が必要になると試算。多額な費用がネックになり、運行再開を拒否。それでも自治会は要望活動を継続。長年の要望はようやく実り、1993年には横浜市の高秀秀信市長が運行再開を表明した。

ドリーム開発の親会社はダイエーだった

しかし、1995年の阪神・淡路大震災が発災。ドリーム開発の親会社は、神戸に本拠地を置く流通大手のダイエーだった。震災によって、ダイエーはモノレールどころではなくなり、運行再開は暗礁に乗り上げた。

ドリームランド跡地は横浜薬科大学に転換された。ドリームランドのシンボルだったホテルエンパイアの建物は、大学図書館としてそのまま活用されている(筆者撮影)

その後も、横浜市や団地住民との協議でモノレールの運行再開は模索されたが、2002年に横浜ドリームランドは閉園。モノレールの遺構も2003年に撤去された。現在、同地には大船駅からバスが発着している。

跡地は、2006年に横浜薬科大学のキャンパスとして再整備されている。2009年には、バス停名として残っていた「ドリームランド」「ランド坂下」が、それぞれ「俣野公園・横浜薬大前」「横浜薬大南門」に改称。いまや、モノレールの痕跡を探すことは難しい。

大船駅はスクラップアンドビルドを繰り返しながら鉄道の要衝としての座を固めてきた。そして、駅の東西どちらにもバス乗り場があり、そこから横浜方面へと走るバス、藤沢方面に走るバスも発着している。所在地は鎌倉市だが、現在の大船駅からはそれを感じさせない。今後も鎌倉・横浜・藤沢の需要を取り込みながら、大船駅は交通の要衝として存在感を強めることだろう。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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