【林文子氏・講演】本当に心が満たされる仕事のやりがいとは何か(その1)

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東洋経済新報社主催フォーラム「Employee Engagement Forum 2008」より
講師:林文子
2008年10月2日 ダイヤモンドホール(東京)

●エモーションの力

 私は3月末でダイエーの副会長を最後に退任いたしまして、5月から日産自動車に入りました。そして現在は、グループ会社の東京日産自動車販売株式会社におります。もともと28年間自動車業界で働いた後に流通小売のダイエーに行ったわけですが、今は古巣に戻ったということです。皆さんも新聞などでご存じだと思いますが、自動車は本当に厳しい販売状況が続いております。ただ、私が敢えてこの逆風下で非常に厳しいと言われている自動車業界に戻りましたのは、結果的に28年間自動車業界の中で育てていただいたわけですし、それから実は今日のテーマでもあるのですが、「エモーションの力」がどれだけ人を活性化させ、そして企業の業績を上げるかということを、肌で感じてきたビジネス人生だからなのです。
 ところが残念ながら、このエモーションの力を語ることは大変難しいです。ともかく数値で出せないところがあります。ですから本日は、あまり論理的に語ることはいたしません。過去の経験の中から幾つかのエピソードをお話しながら、私の気持ちを皆さんにお伝えしたいと思います。こういう厳しい環境下で頑張るビジネスパーソン同士のエールの交換だと思って聞いていただければと思います。

 昭和40年、1965年に私は都内の高校を卒業して、東洋レーヨンという会社に入りました。18歳の少女たちが新入社員として60数名入りましたが、男性はたったの5人でした。4年制大学の卒業生は男性がほとんどでして、こちらは人事部、私ども高卒は勤労課と管理さえ分かれていたわけです。最初の仕事はお茶汲み、コピー、煙草買い。大学を出て2~3年の先輩の男性が「煙草を買ってこい」とこうおっしゃるので、「何を買ってきたらよろしいですか」と伺うと、「お前は灰皿の始末を毎日やっているなら、そこに入っている吸殻を見ておけばいいじゃないか」なんて言われまして、大変な丁稚奉公でした。それは今、私の基礎作りの役に立っておりますが、辛かったですね。1965年当時ですから、これは全く不自然なことではありません。男性と女性の仕事は、はっきり線が引かれておりましたので、高卒の女性は男性のアシストをすればいいという考え方です。まだ台帳なども手書きで書いていた、そんな環境の中で仕事が始まったわけです。

 私は家庭環境が大変厳しかったので、中学生ぐらいからよくアルバイトをしており、社会にはいっぱし顔を出しておりました。ですから一人前の社会人になって、早くまとまったお給料をもらって、母親を助けたいという気持ちで入りました。しかし、先が見えなくなりました。なぜならば勤労課の課長が「東洋レーヨンは大変な人気企業だが、君たちみたいな高卒の先輩は、大体5年で辞めている」とおっしゃったのです。当時はキャリアやキャリアプランという言葉はなかったですが、上からフタをされてしまったような感じがして、転職をしました。そしていろいろな会社に行った後、小さな車のディーラーの営業として採用していただきました。
その2に続く、全8回)
林文子(はやし・ふみこ)
現・東京日産自動車販売会社・代表取締役社長。
東洋レーヨン、HONDAの営業経験などを経て、BMW東京株式会社の新宿支店長、中央支店長に就任。その後フォルクスワーゲン東京代表取締役社長、BMW東京の代表取締役社長、ダイエー会長のキャリアを経て現職に至る。
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