三陸鉄道、「あまロス」なしで全線開通へ 『あまちゃん』続編期待!復旧間近の三鉄の魅力に迫る

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三陸鉄道には南リアス線(釜石-盛)と北リアス線(久慈-宮古)があり、あわせると全長は約108キロメートル。本社は北リアス線の宮古駅にある。社長の望月正彦氏は元岩手県職員だ。大震災で壊滅的な打撃を受けたが、徐々に復旧。現在は、南リアス線の吉浜-釜石間(15キロメートル)、北リアス線の小本-田野畑間(10.5キロメートル)の復旧工事が進んでおり、14年4月の復旧に向け、全力で取り組んでいる最中だ。

約束された赤字!?国鉄から見放された路線で再出発

「鉄道には単なる移動手段ではない役割がある」と望月社長は熱く語る(撮影:池口 英司)

望月社長は『あまちゃん』の影響力のすさまじさを語る。「とにかくすごかった。観光客が増えただけではなく、沿線住民が三鉄(三陸鉄道)に寄せる思いを再確認させていただきました。モータリゼーションの勃興で、鉄道の役割は終わったとも言われてきましたが、移動手段と言うだけではない役割が、きっと鉄道にはあるのです」

まずは、望月社長の解説に従って、簡単に三陸鉄道の歴史を振り返ろう。もともとは、当時の国鉄の赤字路線のひとつ。1980年国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)によって、国鉄が分割民営化される際、不採算路線を切り離して、第三セクターの会社に営業が引き継がれた。JRとしてはお荷物だったのだ。1984年4月第三セクター三陸鉄道は、北リアス線、南リアス線を開業し、当時珍しいワンマン化などの合理化を行い、なんと国鉄時代と違って、黒字を出した。

「実は、路線が移管される前、国鉄時代には全線開通にはなっていなかったのです。ただ、工事は始まっており、もうすぐというところまで来ていました。84年までの4年の間にその工事を終了させたことで、三陸の沿岸部が一続きになったのです。それで利用者が増えたのです」

久慈から宮古の北リアス線がつながると、北はJRの八戸線によって八戸まで行けるようになった。南は宮古からJR山田線で釜石に向かえる。釜石は当時新日鐵の高炉が稼働していて、三陸一の鉄の街であった。その釜石から南へ南リアス線が盛駅に開通したのだ。

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