新日本プロレス、「外国人新社長」が抱く野望 集大成として「プロレス」を選んだ理由とは

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――そもそもメイ社長がプロレスと出会ったきっかけは何だったんですか?

私が日本に来たのは1971年、8歳の時でした。父の仕事の関係で日本に住むことになったのですが、当時熱中したのが、テレビでやっていたのがプロレスでした。そのころはアントニオ猪木やザ・デストロイヤーをよく見ていました。その後、インドネシアに引っ越すことになり、プロレスから1度離れることになりました。

ところが、大人になって日本に来て、プロレスと再会しました。妻に誘われたのがきっかけで、10年前から新日本プロレスを観戦するようになりました。当時は棚橋弘至選手や中邑真輔選手(現WWE所属)の活躍が目立っていました。そのときにプロレスがいい意味で、昔と変わったなと感じました。衣装の鮮やかさや技の高度さなど、プロレスの進化に感動したのを鮮明に憶えています。

「やっとスタートラインに立った」

――新日本プロレスは、2000年代後半に売上高が11億~15億円と低迷した時代が続きました。その後、業績が回復して今2018年7月期の売り上げは過去最高の約46億円を見込んでいます。

歴史をひも解いていくと、かつてゴールデンタイムでやっていたテレビ放送が深夜に移って、新日本プロレスの存在感が薄まった時期もありました。(2000年代に入ると)総合格闘技のブームにも押されて、集客力も落ちました。その後、転機となったのが2012年にカードゲームなどを手掛けるブシロードによる買収です。(グッズの改革や大々的な広告宣伝など)さまざまなテコ入れを行ったことで人気が再燃しました。

IWGPヘビー級王者のケニー・オメガ選手。6月の大阪大会でオカダ・カズチカ選手からベルトを奪取した(写真:新日本プロレス)©新日本プロレス

だけど今、やっとスタートラインに立ったという気持ちです。かつてのように日本の国民的スポーツになるには、まだまだやらなくてはいけないことがたくさんあります。1つは私も経験したことですが、昔プロレスを見ていたであろう40代以上の方々に今の新日本プロレスを見てもらい、戻ってきてもらうこと。そしてお子さんも安心して見ることができるというのをしっかり伝えて、家族でプロレス会場に足を運んでもらいたいです。

今や新日本プロレスの会場に足を運ぶお客様の3割が女性です。そういうこともどんどん伝えて、たくさんの方に新日本プロレスを楽しんでもらえる仕掛けをしていかなくてはなりません。特に今の20~30代の人はプロレスになじみが薄い世代です。新日本プロレスの選手がテレビのバラエティ番組に出演するほか、ツイッターで個々に情報発信もしています。こうした地道な取り組みがプロレスを知ってもらうきっかけになるはずです。

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