《財務・会計講座》ベッカムの移籍金48億円の意味~経営戦略と収益の極大化~

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《財務・会計講座》ベッカムの移籍金48億円の意味~経営戦略と収益の極大化~

■ベッカムという"資産"の売却チーム力強化以外の目的

 スペインの名門プロサッカーチーム、レアル・マドリード(以下、レアル)は2003年7月、マンチェスター・ユナイテッド(以下、マンU)からイングランド代表のデビッド・ベッカム選手を獲得、日本円にして48億円という巨額の移籍金を支払った。英国フィナンシャル・タイムズ紙は、この移籍を「サッカーチームがチーム力強化以外の目的で選手を獲得するのは前代未聞」と報道した。
 これは何を意味するのだろうか。
 ファイナンスの観点から考えると、特定の資産・事業の価値は、その資産・事業が生み出す将来の収益(キャッシュフロー)をその収益のリスクの大きさに応じた割引率で現在価値に割り戻した金額として計算される。
 すなわち、この48億円という移籍金は、レアルにとっては「ベッカムの移籍によって将来、追加でもたらされると予想される収益の現在価値」、マンUにとっては一方、「ベッカムを放出することで将来、失うと予想される収益の現在価値」と示せる。マンUはデビッド・ベッカムという"資産"を48億円で売却し、レアルはこれを48億円で買収したわけである。さらに言えば、マンUにとってのベッカムの価値はレアルにとってのベッカムの価値よりも低かった(レアルにとってのベッカムの価値>マンUにとってのベッカムの価値)ものと判断できる。  では、同じベッカムという選手を対象としながら、チームによって評価の価額が異なってくるのはなぜだろうか。実はここから両チームの戦略の違いを推察することができる。

■勝って儲けるマンU売って儲けるレアル

 一般に、資産は単独で価値を生み出すと同時に、他の資産と一緒に運用する相乗効果により追加的な価値を生み出す。いわゆるM&A(Merger and Acquisition、企業の買収・合併)におけるシナジー効果(経営の相乗効果)などが、これに当たる。
 つまり、同じ"ベッカム"という資産であっても、その他資産の持ち方、組み合わせ方によって、シナジー効果の在り方は変わってくる。あるチームにとっては、より大きな収益を生み出す基となり、別なチームにとっては、そうはならない、ということである。
 マンUの場合、ベッカムを手放すことによって得た資金で、今後の成長を期待できる若手選手を補強し、「既存選手+若手選手獲得」の相乗効果によって、「チームとしての戦力強化」を図った。つまりマンUは、スポーツとしてのサッカーを重視し、ゲームに勝つことで観客動員数を増やし、収益を拡大しようとしたのである。
 一方のレアルは、「既存チームの強さ+スター選手獲得」の相乗効果により、「チームのブランド力向上」を狙った。これは、入場料、放映権収入だけではなく、スポンサー収入やグッズ販売収入を増加させることで、収益を極大化しようとの戦略を意味する。
 一般に、サッカーチームの収入は、入場料、テレビ・ラジオなどでの放映権、スポンサー契約、そしてグッズなど派生商品による売り上げに大別できる。
 例えば、チーム名のみがプリントされたユニフォームの価格は通常、1枚8000円程度であるが、ここにベッカムの背番号と名前をプリントすると、その価格を1枚1万円としても、ファンは喜んで購入する。仮に価格のプレミアム分がチームに入るものとすると、単純計算では、このユニフォームが240万枚売れれば、ベッカムの移籍金48億円は元が取れてしまうこととなる(ちなみに、ジダンの名入りユニフォームは、同選手の移籍後1年で48万枚を売り上げたという)。
 もちろん、デビッド・ベッカムというブランドを活用する手立てはユニフォーム販売に限らない。多様な関連グッズによる収入や、同選手のテレビCM出演などによるスポンサー収入など、肖像権を活用した諸々のビジネス展開によって売り上げを拡大していくことができる。48億円という移籍金は、これら潜在的なメリットを多面的に試算したうえで提示された金額と言える。

■チームの経済的価値を上げるスポーツのビジネス化

 レアルはそれまでも、ジネディーヌ・ジダン、ロナウドといったスター選手を獲得、チームとしてのブランド価値を高める経営戦略を推進してきた。あくまでサッカーチームとしての強さを追及する従来の欧州サッカー界に、より高い収益性を確保するためのビジネス理論を持ち込んだわけで、これが先に紹介したフィナンシャル・タイムズ紙の「前代未聞」というコメントにつながったのである(ちなみに、スポーツ選手の肖像権ビジネスに関する認識が比較的遅れていた欧州に、この考え方を持ち込んだ先駆者は、先に引退を表明した元・日本代表の中田英寿選手である)。
 文字通りの「スポーツのビジネス化」であるが、こうしたトレンドは欧州のサッカー界に留まらず、世界各地で目にすることができる。例えば、日本の国技、大相撲においても、盛大に塩を撒き、自分の横面を張るパフォーマンスで有名になった高見盛が、スポンサーに引っ張り凧となった例などは記憶に新しい。
 スポーツ選手、スポーツチームの価値とは何か。価値を極大化するため、チームのオーナーは、ゲームに勝つための戦略・戦術だけでなく、より多面的な思考が要求されるようになっている。
《プロフィール》
斎藤忠久(さいとう・ただひさ)
東京外国語大学英米語学科(国際関係専修)卒業後フランス・リヨン大学経済学部留学、シカゴ大学にてMBA(High Honors)修了。
株式会社富士銀行(現在の株式会社みずほフィナンシャルグループ)を経て、株式会社富士ナショナルシティ・コンサルティング(現在のみずほ総合研究所株式会社)に出向、マーケティングおよび戦略コンサルティングに従事。
その後、ナカミチ株式会社にて経営企画、海外営業、営業業務、経理・財務等々の幅広い業務分野を担当、取締役経理部長兼経営企画室長を経て米国持ち株子会社にて副社長兼CFOを歴任。
その後、米国通信系のベンチャー企業であるパケットビデオ社で国際財務担当上級副社長として日本法人の設立・立上、日本法人の代表取締役社長を務めた後、エンターテインメント系コンテンツのベンチャー企業である株式会社アットマークの専務取締役を経て、現在株式会社エムティーアイ(JASDAQ上場)取締役兼執行役員専務コーポレート・サービス本部長。
◆この記事は、「GLOBIS.JP」に2008年2月26日に掲載された記事を、東洋経済オンラインの読者向けに再構成したものです。
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