(言論編・第一話)民主主義のインフラ

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工藤泰志

 言論NPOは、今年6月にニフティと組んでインターネット上で始めた市民討議の舞台、すなわち「ミニ・ポピュラス」で「誰がこの国の政治を変えるのか」という議論を開始している。その冒頭で私はこのような問い掛けを行った。
 「今の日本に何が問われているのか。はっきり言わせてもらえば、それは私たち有権者自身の責任ではないのか」。

 日本の政治は表面的に見れば小選挙区制が導入され二大政党となり、政権交代が可能となる状況にもなっている。政治改革を求める人から見れば、形や条件は整ったはずだが、内容は昔とそう変わらない政治が続いている。
 これは単なるネジレという国会上の混乱を越えて、政治自体の問題、もっと言えば、民主主義の問題にも思えるのである。
 二つの政党が、これからの日本の選択肢を提起するためには、日本の未来に向かって課題解決に取り組む政策競争を日頃から行い、国民と合意を形成する努力を行わないとならない。しかし、現実の政治では、そんな国会での論戦を避ける党首までいる。
 急速に進む高齢化は様々な仕組みの組み立てを迫っている。だが、案は出揃い始めているのに政党は党内をまとめられず、受益と負担の関係や日本の将来像を未だに国民に説明することもできない。
 むしろ目前に迫った選挙では、勝利だけを意識した出口を示せないサービス合戦に戻り始めている。
 これは一体、どこが間違ったのか。最大の原因は、むしろこうした政治の閉塞感を許している、私たち有権者や市民自身にあるのではないか。そう考えたのである。

 最近、読んだロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」(東洋経済新報社刊)では、「超資本主義」と民主主義はコインの裏表ではなく、資本主義の暴走の負の面を克服するためにも、市民がその責任を考えて民主主義を守り、発展させることが大切だと主張している。大統領選でオバマが広い支持を集めているのも、民主主義への揺り戻しがある。
 その米国は今、金融危機の真っただ中にある。住宅バブルで世界から資金を集めた超資本主義の崩壊であり、その影響はドルの信認問題に向かっている。事態は、金融の国有化など公共側の管理で事態を収束させるしか、手がなくなっているが、金融法案が一度下院で否決された背景にも、こうした根拠なき熱狂への市民側の反発がある。
 日本は、米国のような金融立国を軸とする過度の競争社会まで実現したわけではない。ただ、日本でもグローバリズムに伴う競争社会は地域の隅々にまで浸透し、急速な高齢化の進展に対応する制度の組み立てもないままに、歪んだ格差をもたらしている。
 こうした変化にどのように向かい合い、新しい日本の仕組みを作りあげるのか。問われているのは、ライシュが言う「民主主義に参加する権利と責任を持つ」市民の意思なのではないか、と思うのである。

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