チャーチルを「名宰相」たらしめた究極の選択 アカデミー賞受賞作でも描かれた緊迫の1日

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しかし、イギリス政府はそのようには機能しない。首相とは「同等な者のなかの首席」であり、相当程度、同僚たちの賛同が必要となる。

閣議の議論の力学を理解するには、チャーチルの首相としての立場の弱さを思い起こす必要がある。

破天荒なチャーチルが首相になれた理由

このときチャーチルは首相になって3週間もたっていなかった。テーブルを囲む閣僚たちの誰が本当の味方なのか、皆目不明だった。労働党のアトリーやグリーンウッドはおそらく支持してくれそうだった。自由党のシンクレアも同様だった。しかし、それだけでは決定的な支持にならない。保守党はある意味で議会最大の勢力であり、チャーチルが当てにしていたのも保守党であった。しかし当の保守党は、チャーチルについてまったく確信を持てないでいた。

若き保守党議員として頭角を現した当時から、チャーチルは自分が属する政党を非難し、揶揄してきた。一度は保守党を捨てて自由党に行き、結局保守党に戻ってきたチャーチルを、無節操な日和見主義者として見る保守党議員は多くいた。つい数日前も、保守党の下院議員たちはチェンバレンが議場に入るや否や大きな声援を送る一方で、チャーチルが入ってくると黙り込んだ。チャーチルは今、強力な二人の保守党議員、つまり枢密院議長になっていたそのチェンバレンと、ハリファックスとともに席に着いていた。

チェンバレンもハリファックスも、チャーチルと過去に衝突していた。両者ともに、チャーチルは爆発的なエネルギーを持つだけではなく、(二人からすれば)非合理的で、確実に危険な人物と思うだけの因縁があった。

チェンバレンがヒトラーに立ち向かうことに失敗したことを理由に、チャーチルは何カ月も何年にもわたり、彼に対して非情な振る舞いをし続けてきたことがある。また、財務相時代のチャーチルは、事業税を削減する計画をめぐって首相のチェンバレンを大いに悩ませた。チェンバレンは事業税削減によって保守党の地方政府の収入が不当に減らされると考えていた。

ハリファックスのほうは、1930年代のインド総督時代に、インド独立に強硬に反対していたチャーチルから激しい攻撃を浴びていた。

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