どうしたら尊敬できる友人に出会えますか? 「自分と同じ」ことほどつまらないことはない!

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(1)真にいちばん正しい場合

(2)そう思い込んでいる場合

そして、私の人生経験からしても、人類の歴史からしても、確率的にも、天才級の洞察力を具えている人も含めて、(1)に属する人は、まあいないものです。これは、哲学を45年以上も続けている私ならばこそ、自信を持って言えます。いわゆる大哲学者と言われている人(デカルト、カント、ヘーゲル、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン?)だって、「いちばん正しい」わけではないこと、いや「間違いだらけ」であることは、並みの頭脳しか持ち合わせない私のような哲学者でもすぐわかります。

「いちばん正しい人」なんていない

それを個々の場合に論証することは、この人生相談の意図に反しますので、割愛しますが、「哲学」を続けてよかったと思うことのひとつは、このこと、すなわち、「誰もいちばん正しいわけではない」ということが体感的にわかることです。そして、それにもかかわらず、今、挙げた哲学者たちは偉大なのです。大体「正しい」という意味は何らかの基準があるときの言葉であって(だから科学理論には「いちばん正しい」ことがありうる)、哲学の場合、その基準も含めて問うのですから、差し当たり何もない。

では、なぜ彼らは偉大なのか? それは、その驚くべき思考の緻密さ、斬新さ、スケールの大きさ……というような言葉を連ねるほかありません。芸術家の偉大さと似ているかもしれません。それこそ、「哲学の中に入って」自分も実際に思考してみればすぐにわかることです。

以上を踏み台にして、今回の相談に対して具体的に答えますと、「哲学」とは(少なくとも西洋哲学の伝統では)、こうした偉大な哲学者たちを含めて、「他者」との絶え間ない対話や議論や論争によって、成り立っています。実証科学や応用科学と違って、「ひとりよがり」が成り立ちやすい領域ですから、このことはぜひ必要なのです。そして、狭い意味の「哲学」に限定しなくとも、相談者が真に「自分の考え方がいちばん正しい」と思っているのなら、ほかのさまざまな考え方を採り入れて、それを絶えず吟味していく必要があります。

かつて私は、このことをソクラテス以来の「対話」という言葉でくくってみましたが(『〈対話〉のない社会』PHP新書)、「自分の考え方がいちばん正しい」のなら、実際にさまざまな他人にそれを語ってみて、いかなる反応が起こるかを知りたいと思うのが健全な態度でしょう。なぜなら、そんなに「正しい」のなら、たぶん他人も賛同する可能性が高いからです。そして、他人の賛同はうれしいものだからです。もちろん、そうした血みどろの努力の後で、他人には「伝えられない」こと、他人とは「わかり合えない」ことがわかるかもしれません(こちらの方が多い)。しかし、そういう自覚は、実際に経験しているからこそ、価値があるのです。

次ページ他人を切り捨てておいて「わかってもらおう」は怠惰
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