「ドラクエXI」徹底的にやりこみわかった真実 「過ぎ去りし時を求めて」に見た微妙な違和感

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ストーリーの本質としてはサブタイトルの「過ぎ去りし時を求めて」が示すとおり、時を遡り、失われた仲間に再び出会う過去に戻った後がゲームの本番なのだと僕は思うのだが、ゲームデザイン的に、普通にクリア後扱いで余談としてのストーリーなのか、本番としてのストーリーの扱いなのか極めて微妙な感覚のまま、ゲームを進めるしかなくなってしまったのである。

過去に戻った時点で、自分自身の意思とゲームのストーリーは大きく離反し、ついに最後までその関係は元に戻ることはなかったのである。

ウルノーガを倒した時点では自分の中では95点くらいだったドラクエXIの評価は、最後までプレイすると60点程度に落ちてしまっていた。

プレイヤーはとてもワガママになった

世界中で親しまれているオープンワールドRPGでは、プレイヤーが主人公をどこへ動かすかや、クエストをどのような終結に導くか。その選択がプレイヤー自身に委ねられることが多い。

当然自分で選択しているから、選択の結果、意に反する事態となってしまっても、プレイヤーはそれに納得するしかないし、おおむね納得できるものである。しかしストーリー重視の一本道RPGではストーリー展開はゲーム制作者に委ねられる。ゆえに、ストーリーに納得がいかなければ、それは制作側の責任である。

もちろん、ストーリーの受け取り方は十人十色だから、今回のストーリーに納得をしている人も多いのだろう。しかし、僕はとても納得できなかった。

もし、ウルノーガを倒したはいいが命の大樹は復活せず、人々も徐々に死に絶えていく。主人公たちにはもう何もすることができず、世界の滅びを待つことしかできない。そんなどうにもならないロトゼタシアの世界を表現できていれば、過去に戻って命の大樹の崩壊を防ぐことに主人公はもちろん、プレイヤーの躊躇もなかったはずだ。

崩壊後の世界には希望があったのだ。ベロニカが死んだとはいえ、戦いに仲間の死はつきものであろう。その結果をわざわざ過去に戻って改変するということに戸惑ったのである。

レーティングの問題なのかなとも思う。ドラクエXIは「CERO A」つまり全年齢を対象にして販売されているため、あまり悲惨な状況を表現できず、崩壊後の世界を十分に描けなかったということがあるのではないか。

まだゲームが発展途上の時代には、ストーリーが理不尽でも、プレイヤーは「そういうものだ」と思うことができた。ゲームに含むことのできる内容は少なかったし、グラフィックだって貧弱で、プレイヤーは制作側の都合を素直に受け入れるか、自分でゲームを作るしかなかった。

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