記憶を抹殺したい日韓W杯、元日本代表の述懐 森岡隆三が語る逃げ出したかった世紀の祭典

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これを境にキャプテンはピッチから遠ざかった。2−2の引き分けに終わったベルギー戦翌日のクールダウンには参加したものの、2日後の実戦メニューは10分も持たない。

「言い表せない鈍痛があって冷や汗しか出てこなかった」と本人は述懐する。さまざまな病院へ出向いて検査をしても原因は突き止められない。痛み止めの注射や酸素カプセルなどありとあらゆる手段を講じたが、症状の改善は見られず、諦めに似た心境が襲ってきた。

「もう自暴自棄ですよ。レクリエーションみたいなゲームの間に伸二(小野=現J1コンサドーレ札幌)が冗談交じりに『決めろよ』と茶々を入れてきて、とっさに『うるせえ』とキレてしまったほどでした。後から謝ったけど、もう自分はここから去った方がいいんじゃないかと思うくらい、精神的に追い込まれていましたね」

支えてくれたベテラン勢への感謝は忘れられない

チームは9日のロシア戦(横浜国際)を1−0で初勝利し、14日のチュニジア戦(大阪・長居スタジアム)でも2−0で圧勝。グループ1位突破を決め、大いに盛り上がった。が、チームの力になれない情けなさから森岡はやり場のない気持ちを抱えながら日々を過ごしていた。そんな時、献身的にサポートしてくれたのが、秋田豊(現解説者)、中山雅史(現J3アスルクラロ沼津)、モリシ(森島寛晃=現J1セレッソ大阪強化部長)といったベテラン勢。彼らへの感謝を彼は忘れたことがないという。

「みんなスタートで出られないのに雑務とかを率先してやっていた。僕のことも気遣ってくれて、どれだけ助けられたか分かりません。だからこそ、一番うれしく、鮮明に記憶に残っているのがモリシのチュニジア戦の1点目。気がつけばベンチから飛び出してみんなと喜びを爆発させてました」

しかし、日本は18日のラウンド16・トルコ戦(宮城)でアッサリと0−1で敗戦。土砂降りの雨とともに、トルシエジャパンの戦いは終わりを告げた。清水の後輩である戸田和幸(現慶応大学コーチ)や市川大祐(現清水普及部スタッフ)らが号泣する姿を目の当たりにしながら、森岡はその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

「僕にとっての2002年は埼玉の青一面のスタンド、初戦のケガ、小野伸二とのケンカ、モリシのゴールの4つだけ。夢に描き続けてきた大舞台がこんな形で終わるなんて、想像だにしませんでした」と彼はしみじみ言う。

代表から離れるや否や、森岡はラスベガスへ行き、カジノで散財したという。ワールドカップの余韻の残る日本から逃げ出したのだ。「安易に『サッカーの匂いの全くないところ=ラスベガス』だったけど、心も体もリフレッシュできたとは言えなかった。今思えば当然なんですけど(笑)」

その後もなかなか足は良くならず、2カ月弱の安静の後、手術に踏み切ったが、今度は復帰直前に原因不明の高熱が出て1週間の入院を余儀なくされる。毎日薬漬けで、病院のベッドから天井を仰ぐだけの日々はやはり苦しかった。

2006年ドイツ、2010年南アフリカの2度のワールドカップを経験している中村俊輔(現J1ジュビロ磐田)もそのたびごとに発熱や体調不良に陥り「悪魔に取りつかれた」と話したと言われるが、ワールドカップという4年に一度の大舞台がどれだけ選手にダメージを与えるのかを森岡自身も周囲も再認識したはず。それが自国開催となれば、のしかかる重圧は計り知れないものがあった。

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