事故物件サイトを作った男の譲れない使命感 「大島てる」は訴えられても脅されても続ける

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大島さんは昔から“力”に興味があった。だから小学生の頃は軍人になりたかった。しかし1990年代後半の『国境はなくなり、世界は平和になっていく』というような雰囲気を受けて、もう世界は軍事力時代ではなく、マネーパワーの時代だと感じていた。だから経済学部に進んだのだ。

しかし“来るべき平和な世界”は目の前で打ち砕かれた。

入学してすぐに、アメリカ・ニューヨークで同時多発テロ事件が起きた。

「当時から野次馬でしたから現場に駆けつけました。倒壊現場ではたちこめるホコリを吸い込んでずいぶん咳き込みました」

学校に行くと、意外にもみんな冷静だった。

大変な事態なのに「休講かなあ?」なんて話をしている。大島さんを含め多くは留学生なのだから、喪失感がなくても当たり前なのだが、大島さんはいら立ちを覚えた。

「今思えば同級生たちのほうが冷静でしたね。ひょっとしたら自分も死んでいたかもしれないという状況に置かれて気が昂ぶってしてしまったのかもしれません。

それで、なんだか学校に通う気力がなくなってしまいました。

また経済の勉強をしているのに、先生も先輩もみんな貧乏そうなのもやる気をなくす理由のひとつでした。おカネ関係の勉強をしていて貧乏っていかがなものか?と思って(笑)」

コロンビア大学大学院では1年余りを過ごしただけで退学し、日本に帰ることにした。

「全部の路地に行きたい」

「ただ、ニューヨークにいる期間を無駄にしないぞと思ってマンハッタン島内をさんざん行き来しましたね。さまざまな交通手段を試しました。浪人時代に御茶ノ水を散策しまくったのと、同じです。

私はマインドが根っからの不動産業者なんだと思います。『こういう機会にいろいろな人と出会いたい』とはならないんです。『全部の路地に行きたい』って思うんです」

そして24歳の時に日本に帰ってきた。家業である不動産業を継ぐことにした。

「その頃はいちばん迷走していた時期ですね。いわゆる自分探しです(笑)。海事代理士の資格を取ったり、フランス語をマスターしたり……目的もはっきりしないままに行動していました」

家業である不動産業といっても、駅前にあるような仲介業者ではない。物件を持つ大家だ。

物件を買って、人に貸し出して収益を得る。大島さんも実際に競売物件などを購入した。大家として新しい物件を仕入れるときに“訳あり物件”を引いてしまうのはなんとしても避けたい。訳あり物件とは具体的には「暴力団の事務所がある」「風俗店の待機所がある」「雨漏りがある」「階段状の道を通らないとたどり着けない」などなどだ。

その中の1つに「人が死んだ物件=事故物件」があった。

物件を探すときのチェック項目の1つとして気にするようになった。事故物件には専門家がいないため、全部自分で調べなければならない。調べてはデータをためていく。

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