シャープ、「野球観戦」専用ウォッチの仕掛人 広島カープ愛で開発4年、経営危機も我関せず

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ただ「家電のシャープ」の商品ラインナップにおいて、この商品の存在はいささか異色だ。いったい、どのような経緯で生まれたのだろうか。

きっかけは、今から8年前の2010年、同社の携帯電話の開発拠点がある広島で行われた、新規事業コンテストに遡る。

iPhone登場が契機に

当時、シャープの携帯事業は、危機感に駆られていた。従来型の携帯電話、いわゆる「ガラケー」のシェアで国内首位だったシャープだが、2008年のiPhone発売を機にスマートフォンが本格普及。以降、潮目が変わってきたのだ。

廣澤慶二(ひろさわ けいじ)/IoT事業本部IoTクラウド事業部システム開発部所属。1977年生まれ。2003年にシャープ株式会社入社。通信システム事業本部(現:通信事業本部)で10年間、携帯電話開発に従事。2013年より新規事業の立ち上げを担当(撮影:梅谷秀司)

そこで2010年に行われたのが、スマホの周辺機器に関する新規事業提案のコンテスト。そのコンテストでグランプリを獲った男が、廣澤慶二、当時33歳だ。広島の通信システム事業本部で、無線開発を担当していたエンジニアの彼こそが、ファンバンドの生みの親である。

廣澤がこのコンテストに応募した動機は、非常にシンプル。「シャープ携帯の危機を前に『何かやらねば』という思いはあった。加えて昔から、面白いものを作っては人に見せ、すごいねって言ってもらうのが好き。

20代のころ、趣味でクラブでのイベントをやっていたが、そこで(ラッパーなどが肩に担ぐ)ラジカセからスモークやシャボン玉が出てくるようにしたり、たたくと音が出るスピーカーを作ったりしていた」(廣澤氏。以下同じ)。

新規事業コンテストの中で役員の前でプレゼンを行い、優勝した経験は、廣澤の発明家魂に火を付けた。以来、新規事業を次々提案していくことになる。

経営危機のさなかの2012年に行われた合宿研修では、当時作りたかった機器の模型を自作し、参加していた幹部に披露した。すると、「合宿に模型まで持ってくる人は初めてだ」とその熱意を買われ、スマホ関連の開発に加え、新規事業の担当も兼任させてもらえることになった。たった1人ではじめた新規事業だった。

次ページ当初から「野球ファン向け」ではなかった
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