川崎-熊谷を縦断!JR唯一「石炭列車」の全貌 石炭を鉄道でセメント工場に運ぶ深いワケ

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一つの理由はセメント工場という業種の特種性にある。たとえば石炭火力発電所など大量に石炭を使用する発電所、工場などの多くは、石炭を荷揚げする港湾近くの臨海部に立地されている。都市部に近いことや敷地が確保しやすいことなどのほかに、石炭の運搬の便も考えての立地である。

浜川崎駅付近を走る石炭列車(筆者撮影)

一方、セメント工場は通常、原料である石灰石の採掘場近くに立地される。この熊谷工場は、少しでも消費地に近くということで、前身会社の秩父セメントの工場として1962(昭和37)年に創業された。石灰石採掘の武甲山(秩父市街南方)からはやや離れているが秩父鉄道の線路でつながり、石灰石は武甲山南麓の秩父鉄道影森駅から貨物列車で同工場へと運ばれてくる。また群馬県神流町の叶山にも石灰石採掘場があり、そこから延長23kmのベルトコンベア(トンネル部分が多い)などで秩父鉄道武州原谷貨物駅(秩父市大野原)へと運ばれた石灰石が、これも秩父鉄道の貨物列車で同工場へとやってくる。

重油から石炭に変えた理由とは

セメント工場は大量の石炭(または石油などの熱エネルギー源)を必要としながら、内陸部に立地される数少ない大型工場のわけである。

セメント工場での工程は、以下のように分かれる。

1、石灰石、珪石、鉄原料、粘土(リサイクル物で代替)などを粉砕、調合などの「原料工程」
2、原料をロータリーキルン(回転窯)で1450度の高温で焼成しクリンカを作る「焼成工程」
3、クリンカに硬化速度を調節する役割の石膏をまぜるなどの「仕上工程」

焼成工程で石炭を使用しているわけだが、1980年までは同工場でも重油を使っていた。重油から石炭へと変えた理由は、購買コスト以外にも輸送、貯蔵のしやすさ等の多角的検討によったという。また石炭であれば後述する石炭灰としての再活用ができる。これらのことから現状では石炭を重油などに変更する計画はないという。ということは、鉄道遺産的な石炭列車が石油タンク輸送列車に代わってしまうといったことは当面なさそうである。

同工場を取材で訪ねると、複雑な配管や巨大な回転窯など、今一部で人気の「工場萌え」の様相に圧倒される。また石炭車のほか石灰石用のホッパー車が多数並ぶのも壮観だ。石炭車は石灰石用の貨車とよく似ていて、いずれも上から積み込み、下ろす時は下部を外側に開いて下に落とす。鉱石輸送の施設や技術がもともとあるのが石炭輸送にとっては有利に働いているだろう。ちなみに20両編成の石炭列車の運行は、15トントラック約47台分に相当することになる。

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