池袋はいつから「ダサい」と呼ばれ始めたのか 「ダサさ」は街の強み、消し去ってはいけない

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多様化が進んでいく中でも、池袋はしばらくの間「地味」「ダサい」というイメージで語られ続けた。その理由として、前述の通り面的にプラスイメージへの刷新が進まなかったことや、先ほど述べたように駅至近に商業施設が集中する「駅袋」状態が長く続いたため、まちとしての特徴づけができなかったことが挙げられる。

そんな「駅袋」の代表例として挙げられる東武百貨店や西武百貨店は、旺盛な需要で増床を続け、発展していった。しかし、その百貨店の利用者でさえもアンケート調査では「交通が便利だから来る」という、百貨店への利便性による理由を挙げ、「センス」や「百貨店そのものの魅力」を理由に挙げる回答は少なかったようだ。

あまりイメージが良くない中でも交通の利便性で発展してきた池袋は、東京メトロ有楽町線、副都心線といった地下鉄が開業・延伸するたびに「素通り」が危惧されてきた。そのため、地域は危機感からイメージアップを図りたいと考え、風俗店排除のために陳情活動や見回り活動を進めた。西口にキャンパスを構える立教大学と地元が協力してまちの発展について考える取り組みもしばしば行われている。

しかし、心配されたほどの「素通り」はなかった。むしろ2008年の副都心線開業、2013年の副都心線と東横線の直通運転開始を契機に池袋に来る人は増え、横浜方面からも関心を持たれるようにもなったのだ。

新宿や渋谷よりも移動しやすい

新宿や渋谷に対する人々の意識の変化も池袋の復権に一役買った。2000年代に渋谷や新宿の再開発が一段落したため、目新しさがなくなり、むしろ「人が多くて危ない場所」という印象が強くなってしまったのだ。

サンシャイン大通りは渋谷や新宿の目抜き通りに比べれば空も広く、歩きやすい(筆者撮影)

当時のアンケート調査を見ると池袋でも同様のマイナスイメージを持たれているが、渋谷や新宿ほどではなかった。これは「駅袋」であり、買い物客が風俗街周辺まで足を延ばさなかったことが功を奏したのではないかと考えられる。

付け加えれば、渋谷や新宿は街中を移動するのがとても大変だ。筆者の個人的なイメージだが、新宿は東口と西口の間が移動しづらく、東口は人も多い。渋谷は街路が入り組み、どこへ行ったらいいのかわからなくなってしまう。対して池袋は東西間の移動にストレスがない上、JRであればどの改札口から出ても大きく遠回りになることはない。枝久保さんはこうした駅とまちの構造について、「池袋は鉄道開通まで何もなかったまちだった。そのためまちは交通主導により、新宿や渋谷と比較して合理的に形成されたのではないだろうか」と分析する。

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