「中東の和平を邪魔するアメリカ外交の傲慢」コロンビア大学地球研究所所長 ジェフリー・サックス

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先月、アメリカの中東政策は再び大きな挫折を味わった。アメリカ政府がパレスチナ暫定自治政府から切り離そうとしてきたイスラム過激派ハマスが、逆に敵対する穏健派ファタハを武力行使によって追放したのである。イスラエル政府はこうしたハマスの動きに対して、ガザ地区の国境閉鎖を宣言。暴力と貧困と絶望で打ちひしがれてきた人々の暮らしは、さらに困難な状態へと追いやられた。

 アメリカ政府の中東外交の度重なる失敗によって、イスラエルとパレスチナの和平はますます遠のいている。大切なのは、なぜアメリカがそのように失敗してきたか、その原因を理解することだ。中東外交の失敗の根因は、アメリカ政府とイスラエル政府が、イスラエルとパレスチナの多くの国民が納得するはずの妥協案を拒否してきたことにある。両国政府は、軍事力と資金力を行使すれば、自分たちに都合のいい条件で和平を達成できると信じてきたのだ。

 1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)からの40年間、イスラエルとパレスチナは和平を達成するチャンスがあった。たとえば、イスラエルの国境を67年以前のラインに戻し、通商ルートや水、生活必需品といった欠かせない経済的条件をパレスチナに保証する。そうして相互に受け入れられる、わずかな国境の調整を行うことで、イスラエルとパレスチナは平和裏に共存できたはずである。おそらくイスラエル人とパレスチナ人も、4人のうち3人はこの妥協案を支持しただろう。

 しかし、アメリカとイスラエルの政府は、こうした妥協案を受け入れてこなかった。70年代初頭から、イスラエル人の宗教的な入植者と強硬派の国家主義者は、ヨルダン川西岸地区に移住地を設置して拡大を続けてきた。それは、和平の実現を阻止し、数十年にわたる流血の舞台を準備することにつながった。

 イスラエルとパレスチナ双方の過激派は、その後、政治的な暗殺を繰り広げた。81年には、イスラム過激派が和平主義者であったエジプトのサダト大統領を殺害。イスラエルの和平派であったラビン首相も、和平反対派の過激派によって95年に暗殺された。和平に近づくたび、過激派は行動をエスカレートさせたのだ。

 この10年間、和平の最大の障害は、イスラエル軍が67年時点の国境線にまで撤退しなかったことにある。それは、ヨルダン川西岸地区に住む何十万の移植者と、彼らを支援するイスラエル社会に対して、イスラエル政府が政治的配慮を施してきたからだ。2000年、キャンプデービッドで提案された和平案にも、西岸地区の入植者を支援する内容が含まれていた。その一方、経済的には実行可能な妥協案は、一貫して否定されてきたのである。

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