大戸屋創業者の息子が宅配事業を始めるワケ きっかけは「店舗経験」と「祖母の存在」だった

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――2016年2月に大戸屋HDの役員を辞任しました。

やっぱり父が目指していた会社とは違う方向性に向かっていたということが大きかった。「負の遺産」という表現で、父が「大戸屋を世界ブランドにする」ために将来に向けて種をまいていた事業などを全否定された。

たとえば、父の死後に山梨の野菜工場が清算された。中国で無農薬野菜が手に入らないという状況を鑑みて実験していた施設だった。こういう方向に向かっていくのであれば、私がいる必要はないと思った。大戸屋を辞めざるを得なかったというか、自分に嘘をついてまでこの会社に居続けることを捨てた。それぐらい、疑問を感じた。

「食べること」を選択肢として提供

――今回、新たに事業を立ち上げた経緯を教えてください。

まず、これをやるために大戸屋を辞めたわけではない。その後にすぐやりたいことが見つかったのかというわけでもない。事業を思いついたきっかけは、2つの経験が関係している。

1月25日に記者発表会を開いた三森智仁氏。今回始める宅配事業について、高齢者のニーズがあることを強調した(撮影:風間仁一郎)

1つは、私自身が大戸屋の店舗で働いていたときのこと。毎日決まった時間に来てくれる年配の女性とお嬢様がいた。ある日、お見送りをすると「明日から施設に入ることになった。ここの食事が非常に好きだったから、最後に食べ納めと思って娘と来たんだ」と言われ、これがずっとひっかかっていた。

もう1つは、私の祖母にまつわる経験。晩年は施設に入ったのだが、母は専業主婦だったのでほぼ毎日通い、「あれが食べたい、これが食べたい」という要望に応えていた。祖母はマクドナルドのポテトが大好きだったので揚げたてのものを母が買って施設に届けていた。亡くなった後に施設の人から「ご家族が近くにいらっしゃって、あんなに、マメにケアができる方はなかなかいらっしゃらない。珍しいケースですよ」と言われたそうだ。

この2つが私の中で結びついて、生きているうちは「食べること」を選択肢として提供したいという思いの中でビジネスをやりたいと思った。大戸屋を辞めてから少し時間はかかったが、いろんな事業会社の方の話、利用者の話を聞くと、ニーズがあるということに確信が持てた。

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