「外国人起業家」が考える日本で成功するコツ 来日20年で日本も大きく変わったが

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日本はビジネスを始めるのにけっして悪い国ではない(写真 : Rawpixel / PIXTA)

「起業したい」と思い立って日本を目指す外国人は少ないだろう。言語や文化が他国と異なるだけでなく、日本にはそもそも起業を支援する体制が乏しいという見方もある。が、約20年前に日本を訪れ、現在はオフィス家具最大手の代理店社長を務めるライアン・グレゴリー氏からすると、日本はビジネスを始めるのにけっして悪い国ではない。

ライアン氏はもともと日本に興味があったわけではなかった。米国で法律学を学んでいた同氏はロースクールに進学する予定だったが、短期海外留学を経験したことで、海外に興味を持つようになる。その後、海兵隊への入隊を考えたり、女子サッカーチームでコーチをしながら過ごすライアン氏に対して、両親が徐々に気を揉み始めていることがわかった。「両親は私に何度も『計画を持ちなさい』と言ってきた」と、ライアン氏は振り返る。

日本に来たはいいものの…

スペイン語が多少話せるため、南米で仕事を探すことも考えたが、いろいろ考えた末、アジアに行くことを決意。1997年7月、日本で語学指導を行う「JETプログラム」に参加し、日本へやってきた。日本で英語を教えたいとは思っていなかったが、給料が良かったからだ。「少なくとも責任のある人間になれるし、いくらかおカネも稼げる」と考えた。

結果的に、このJETへの参加がライアン氏の人生を大きく変えることになる。

「教師には向いていない」とJETを辞めた後、無職になったライアン氏は日本語を学びながら、さまざまな企業へ履歴書を送り続けた。貯金が底をつく前にもっと自分に合った仕事を見つけたいと考えていたが、見つからない。「当時は語学学校の中庭で洗濯していた。故郷へ帰るための飛行機チケット代を除くと、数日分の生活費しかないような状態だった」とライアン氏は話す。

こうした中、引っ越し会社で営業の職を得る。希望していた仕事ではなかったが、楽しい学習の機会になるだろう、と自分に言い聞かせた。1年半後、米国に本社を持つ家具会社、ハーマン・ミラーに転職。ライアン氏は、日本と韓国の顧客を担当することになった。

ようやく面白い職に就けたと思ったのもつかのま、2001年のドットコムバブル崩壊後、日本でも家具がさっぱり売れなくなってしまった。そこで、ライアン氏は、市場がそこそこ堅調だった韓国への赴任を希望する。

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