モンベル創業者が語った事業成功への軌跡 一流の登山家が一流の経営者になれた理由

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21歳の1969年に念願のアイガー北壁を登攀。日本人として2番目でしたが、当時の世界最年少登攀記録を塗り替える偉業でした。「これで一生食べていける、と思いました」(辰野会長)。当時の黄ばんだ新聞をいまだ大事に持っていると言います。

登山に精を出しながらも、スポーツ用品店、登山用品専門店、さらに中堅商社の繊維部門で経験を積みました。

そして1975年。28歳の誕生日の日に、貴重な経験をさせてもらった商社を涙ながらに退職。その翌日、大阪市西区立売堀の雑居ビルの1室でモンベルを立ち上げます。正真正銘、ゼロからのスタートでした。十分な貯えはありませんでしたが、貴重なのは時間と考えたそうです。

おカネは後で何とかなる、しかし時間は取り返しがつかない。これからベンチャー企業を立ち上げようという若い人には、大いに参考になる考えだと思います。まさに、時はカネなり、なのです。

スーパーのショッピングバッグを作った

起業して最初の1年は、思うように登山用具の注文が来なかったそうです。志とは異なりますが、商社時代の元同僚の伝手(つて)で、大手スーパーのショッピングバッグの製造を請け負いました。初年度1976年8月期の売り上げ1億6000万円の大部分は、このショッピングバッグの製造によるものです。

一方、念願の登山用具の企画開発にも注力。まず手掛けたのは、スリーピングバッグ(寝袋)でした。しかし、サンプルを持って走り回っても、無名のモンベル製品を取り扱ってくれるところはほとんどありません。そこへ、商社時代の恩人から「面白い素材があるぞ」と情報提供がありました。デュポンのポリエステル繊維で、寝袋の中綿としては画期的な新素材でした。

普通は、産声を上げたばかりの零細企業を、世界的大企業のデュポンが相手にしてくれるはずはありません。しかし辰野会長は、商社時代にデュポンと取引があり、面識のあった担当者に「ぜひ、うちで使わせてほしい」と頼み込みました。熱意が通じて使用が許可され、試行錯誤の末、軽量、コンパクトで暖かい寝袋が完成します。

モンベル製登山用品の最初のヒットとなった寝袋(写真:モンベル)

「こんな寝袋が欲しかった」と多くの登山者から歓迎され、モンベル製登山用品の最初のヒットとなりました。その後も、デュポン社の高機能素材を使った商品を次々と開発し、日本の登山用品業界において確たる地歩を築くことができました。これも、世界最大規模のコングロマリット(複合企業)が、創業まもないベンチャー企業に、市場の独占権を与えてくれたお蔭です。モンベル社員のモノづくりにかける情熱が先方に伝わったことも大きいですが、やはり、会社設立までに培った辰野会長の人脈が、後押ししてくれた結果だと思います。

ショッピングバッグの製造もデュポンとの取引も、人と人とのつながりがその背景にあったのです。

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