日本のサラリーマンが不幸だと感じる理由 純文学者・磯﨑憲一郎氏の好き嫌い(下)

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楠木:仕事には明確な終わりがありますが、磯﨑さんのようなスタイルで執筆をする場合、作品は、どんなふうに終わりにするのですか。

磯﨑:それは、小説が知らせてくれます。書いていて、終わりに近づいているなという感覚が強くなってきて、最後は、もうこの辺でいいんじゃないかと、小説が自分に伝えてくれる感じです。

楠木:それはすごい。ペイジだと長く弾きすぎてわけがわからなくなり、ロバート・プラント(レッド・ツェッペリンのヴォーカリスト)がイヤな顔をして「もうやめろ……」みたいなこともありましたが、磯﨑さんの小説はバンドではないですから、自分で自分の音を聴きながら、終わりが見えてくる。

ところで、これまで専業の小説家になろうと思ったことはないのですか。

磯﨑:私は、専業かどうかは大きな問題ではないと考えています。サラリーマンはいずれ定年が来ます。しかし、小説は生きている限り書くことができます。さらに言えば、生きている限り書かなければならない、自分で定めたルールを守って、一生続けていかなければいけない仕事だと思っています。

楠木:磯﨑さんの場合は、好きなことを仕事にして、しかも、それが自らのミッションにまでなっているという、この「好き・嫌い対談」でこれまで出てきた「好き」の度合いにおいて、磯﨑さんの小説に対する好きさ加減は、極端に高いレベルに到達しているような気がします。だからこそ、あれだけ優れた小説を次々に書けるのでしょうね。

好きなことをやる重要性はますます高まっている

磯﨑:自分が勤務する商社とは離れて、あくまでも一般論としてなんですが、私はやっぱり今の日本のサラリーマンって不幸なんだろうなと思っているんです。以前なら、与えられた仕事をキチッとこなしていれば、優秀な社員とされていましたが、いつの間にか「イノベーション」とか「グローバル」といったことを要求されるようになってしまった。そもそも、グローバルなビジネスマンになんてなるつもりがなかったから、国内市場を相手にする日本企業に入ったわけでしょう(笑)。それなのに、いつの間にか必須条件であるかのように求められてしまっています。

楠木:それによる弊害はかなり大きいと思います。会社の仕事をこなしつつ、自分の内発的な好きなことを追求するというのは、人生において大きな意味があるはずなんです。仕事にも良い影響を及ぼすでしょう。その好きなことが本業になるかどうかというのは別の問題で、とにかく、なるべく早く、自分の好きなことができる環境を整えたいわけです。

それなのに、グローバル人材になれと言われて、TOEICの勉強もしなければならない。でも、勉強したところで、みんなが850点取れるかというとそんなことはない。英語に対する向き不向きが存在するわけです。そんな本人にとって生産的ではない英語の勉強に、時間と労力を費やすことで、好きなことに費やす時間がなくなってしまうのです。要求されていることをもっと多く、早くしなくてはならないということで、自分の内発的な好き嫌いに行くことができないという不幸でしょうね。

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